演歌以外:「私は、私」について。

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今日のお話は、「私は、私」についてのお話しです。

今日は、3月26日、今日はどんな記念日でしょうか。

カチューシャの歌の日

1914(大正3)年のこの日、島村抱月と松井須磨子が起こした芸術座が、トルストイの『復活』の初演を行った。この中で歌われた「カチューシャの歌」が大流行した。

楽聖忌

1827年のこの日、ドイツの作曲家ベートーベンがウィーンの自宅で亡くなった。多くの交響曲を作曲し、「楽聖」と呼ばれた。
3日前、甥のカールを唯一の相続人にするように遺言書を補足し、「諸君、拍手したまえ。喜劇は終ったのだ」という有名な言葉を呟いた。
29日の葬儀には2万人の市民が参列し、宮廷歌手が棺を担いでフンメルら弟子たちがそれに続いた。しかし、数々の作品を献呈され交際のあった貴族たちは誰も出席しなかった。

独立記念日 [バングラデシュ]

1971年のこの日、東パキスタンがバングラデシュとして独立した。
1947年8月14日に、(旧)インドがヒンズー教徒のインド、仏教徒のセイロン(現在のスリランカ)、イスラム教徒の(旧)パキスタンの3つに分かれたが、パキスタンは国土がインドによって東西に分断された飛び地となっていた。

独立記念の日(パキスタン) 8月14日

犀星忌

小説家・詩人の室生犀星の1962(昭和37)年の忌日。
『愛の詩集』『幼年時代』『あにいもうと』『杏つ子』等の作品を残した。

鐵幹忌

歌人・詩人で與謝野晶子の夫の與謝野鐵幹の1935(昭和10)年の忌日。

「私は、私」

禅宗において、修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題のことを「公案」といいます。禅問答ともいいますね。

以下は、ひとつの公案と その答えなのですが、どうぞ読みながら答えを考えてみてください。

この公案、解けますでしょうか?

趙州禅師がある庵を訪問され、玄関で「いるか、いるか」と声をかけました。

これは、単に在、不在をたずねているのではなくて、

「君は君といういのちの本体にしっかり落ち着いていますか。

模様を追いかけてその本体からフラフラ、さ迷い出していませんか」と聞いているのです。

すると、庵主さんは、握り拳をつくって、それをさし上げました。

これは、「ええ、私は私といういのちの本体をしっかり握りしめて、そこからさ迷い出してはいませんよ」と答えているのです。

ところが、趙州さんはそれに対して、

「やれ、やれ、こんな水が浅いところに船を碇泊(船が碇 (いかり) を下ろしてとまること。)させられんわい」と貶(けな)して出ていってしまいました。

そして、また別の庵にやってきて、同じように、「いるか、いるか」と声をかけたところ、その庵主さんもやはり、握り拳をつくってさし上げました。

「ハイ、私はしっかり私でいますよ」と答えているわけですね。

すると、趙州さんは、今度は「ああ、与えるのも、奪うのも、殺すも生かすも、自由自在でありがたいことだ」と礼拝しました。

さて、趙州さんは同じ解答をした二人の庵主さんに対し、一方をけなし、一方をほめたのはなぜでしょうか、というのが、禅の公案です。

(ちょっと考えてみてください。)

(よろしいでしょうか。)

(では、以下の答えを読み進めてください)

これは『握り拳』こそが答えなんですね。

『握り拳』、つまりいのちの本体(石)は、刻まれる模様(ほめたり、けなしたり)を超えていますね。

石はアホと刻まれても、エライと彫られても、『石』なんですからね。

そんな模様のアレコレに関わらず、『石は石』、『私は私』なんですね。

(中略)

古人は、この公案に対して次のような詩をつくって解答しています。

「狂と呼ぼうと 暴と呼ぼうと

評判はお好きなように

桃の花はおのづから紅に 李(すもも)の花はおのづから白い」

誰に何て言われようと、

どんなに貶されようと、

めちゃくちゃ褒められたとしても、

めちゃくちゃ自分を否定されたとしても、

あなたは、あなたです。

『私は、私』です。

自分のことを人に理解してもらおうと思えば思うほど、誤解を生んだりします。

でも、そもそも理解してもらう必要があるのか?という話です。

凛とした人というのはつまり、人の評判などは気にせずに、「私」を生きている人だと思います。

岡本太郎さんは言いました。

「評価されるなんて一切関係なし。音が好きならば、音になっていないといわれようと“音”を出す。これが前提だな」

タイガー・ウッズさんはこう言います。

「他人の期待に耳を傾けないことだ。あなたはあなた自身の人生を生き、自分自身の期待に応えるべきである」

極めつけはやはり、坂本龍馬さんのこの言葉でしょう。

「世の中の人は何とも言わば言え、 わが成すことは我のみぞ知る」

他人にどう言われても、どんなレッテルを貼られても、『 私は、私 』ですね。

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