演歌以外:「置かれた場所で咲きなさい」と「幸せ」について。

Pocket

スポンサーリンク

今日のお話は、「置かれた場所で咲きなさい」と「幸せ」についてのお話しです。

今日は、4月9日、今日はどんな記念日でしょうか。

大仏の日

752(天平勝宝4)年のこの日、奈良・東大寺の大仏開眼供養が行われた。

左官の日

日本左官業組合連合会が制定。
四(し)九(く)で「しっくい」の語呂合せ。

反核燃の日

青森県労働組合が制定。
1985年のこの日、北村青森県知事(当時)が県議会の全員協議会で核燃料サイクル施設の推進を表明した。これにより議会の承認を得たとして、それ以後核燃施設の建設が進められて行った。

反原子力デー10月26日

美術展の日

1667年のこの日、パリで世界初の美術展が開催された。

食と野菜ソムリエの日

日本ベジタブル&フルーツマイスター協会が制定。
四(し)九(く)で「しょく」の語呂合せ。

子宮頸がんを予防する日

子宮頸がんを考える市民の会が制定。
四(し)九(きゅう)で「しきゅう」の語呂合せ。

バターンの日[フィリピン]

1942年のこの日、フィリピンのバターン半島が日本軍により占領された。多くの捕虜が徒歩により護送され、多数の死者が出たことから「死の行進」と呼ばれた。

フィンランド語の日[フィンランド]

「フィンランド語の書き言葉の父」と呼ばれる牧師・ミカエル・アグリコラの1557年の忌日。

「置かれた場所で咲きなさい」について

「ダイヤモンドを探せ」の著者“ラッセル・コンウェル”氏は、その著書の中でこんな言葉を残しています。

「自分が今いる場所でチャンスをつかむことができると信じている人は、どこにいても何かをなしとげられる人です。

今住んでいるところで、人の役に立ちなさい。

学校を手伝ったり、道路を清掃したりして、人々に幸せを与えなさい。

そうすれば、どこにいようが、あなたはりっぱな人になれるでしょう。

反対に、今いる場所で何もできない人は、どこに行っても偉大な人物にはなれません。

あなたが今いる場所で、今のあなたのままで、できることからはじめてください」

渡辺和子さんの著書より

「置かれた場所で咲きなさい。咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。

それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、

神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです」

結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。

そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。

どうしても咲けない時もあります。

雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。

その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。

次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

メーテルリンクの「青い鳥」より

「なんだ、あれが僕たちの探している青い鳥なんだ。

僕たちはずいぶん遠くまで探しに行ったけど、

本当はいつもここにいたんだ」

名前だけ聞いたことがあるけど、実際に読んだことある人は少ないのではないでしょうか。ベルギーの劇作家、メーテルリンクの作品です。

主人公のチルチルとミチルの幼い兄妹が、幸せの青い鳥を探していくつもの世界をめぐる話です。

世界、といっても「思い出の国」や「夜の宮殿」、「未来の王国」など、幻想的な空想の世界を旅するのです。

しかし、この兄妹の旅は夢の中でのお話。

目が覚めると、実は幸せは身近にあったんだ。というお話です。

童話ではありふれたストーリー性なので、今ではあまり読まれることが多くないようです。

しかし、このありふれた童話の中に、僕の生死観を一変させた言葉があるのです。

人は死んだ後にどうなるんだろう?

第2幕の第3場「思い出の国」では、
チルチルミチルが、亡くなったおじいさん、おばあさんに再会する。

“わたしたちはいつでもここにいて、
生きている人たちがちょっとでも会いに来てくれるのを待っているんだよ。”

“わたしたちのことを思い出してくれるだけでいいのだよ。
そうすれば、いつでもわたしたちは目ざめて、
お前たちに会うことができるのだよ”

おじいさん、おばあさんの会話に、
次々、会いたい顔が浮かび、涙と鼻水がとまらなくなる。

中盤を過ぎたころやっと、
この本が、会話一つ一つが織りなす、
「会話の詩」で紡がれた物語であることに気がつく。

よく、人は死んだあとに天国なり地獄なりの「あの世」に行くといいます。

これは死者が主体になってどこかに行くイメージですよね。

この物語、おばあさんのセリフでは、生きている人が思い出すだけで死んでしまった人に会うことができる、幸せになれる、と言っています。

生きている私たちが主体の考え。つまり、死後の世界は、生きている私たちの頭の中にある、ということです。

チルチルとミチルが家に帰ってくると、そこには探し求めていた幸せの青い鳥がいました。

この物語の教えは

「幸福は身近なところにある」

と表現されていることが多いけれど、私は彼らが冒険の結果として幸せを幸せだと気づくことを得たということの方が大事だと思います。

もともと飼っていた鳥が青い鳥に「見える」ようになったのは偶然で、彼らが別の幸せの定義をもっていたならば、もう一度冒険の旅にでなければならなかったかもしれませんね。

幸せの青い鳥はいつも家にいるわけではなく、ときには捕まえにいかなければならないときもあるのではないでしょうか。

ただ、自分が探すべき青い鳥がどういう姿をしているのかは、事前に知っておく必要があるということですよね。

「自分の幸せを定義する。」

それが幸せのための第一歩なのだろうと思いますね。

スポンサーリンク