演歌以外:「孔子が語った大切なひと言」について。

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今日のお話は、「孔子が語った大切なひと言」についてのお話しです。

今日は、10月13日、今日はどんな記念日でしょうか。

引っ越しの日

引越専門協同組合連合会関東ブロック会が1989(平成元)年に制定。
1868(明治元)年のこの日、明治天皇が京都御所から江戸城(現在の皇居)に入城された。

サツマイモの日

埼玉県川越市の市民グループ・川越いも友の会が制定。
10月はさつまいもの旬であり、江戸から川越までの距離が約13里なので、さつまいもが「栗(九里)より(四里)うまい十三里」と言われていたことから。

麻酔の日

日本麻酔科学会が制定。
1804年のこの日、華岡青州が世界で初めて全身麻酔による乳癌手術を成功させた。

嵐雪忌

俳人・服部嵐雪の1707(宝永4)年の忌日。

孔子が語った大切なひと言

聖徳太子が示している通り、人間社会において「和」が大切であるということはよくわかりますが、なかよく、なごやかに接するためにはどうしたらいいのでしょう。

ヒントは『論語』の中にあります。

弟子の子貢が孔子にたずねました。「先生はいろいろなことをおっしゃっていますが、一言で教えてください。一生実行していかなければならない心構えは何ですか」

孔子は答えます。

「其れ恕か(それじょか)」

「それは恕である」ということです。

恕とは会意文字(すでにある漢字の意味を二字以上あわせて一字とした漢字)で、心の如しという意味です。

誰の心かというと、相手の心、第三者の心のことです。

つまり「恕」とは、人の立場に立ってものごとを考えること、おもいやりのことなのです。

広い心で相手をゆるす、という意味でもあるそうです。


「Amazon.com(アマゾン・ドットコム)」といえば、言わずと知れた超大手通販サイトです。
そのアマゾンさんでも、日本の企業と同じように、ミーティングが数多く開かれます。

そして、重要なミーティングの時には、幹部社員や、マーケティングの達人、ソフトウェア担当者の席の傍らに、誰も座らない椅子があるそうです。

その椅子には、もっとも重要な人物が座る。

一体、誰のための椅子でしょう?

それは、

“顧客の椅子”

誰も座らないその椅子は、ミーティングの時に、顧客のことを思い起こし、顧客の求めているもの、顧客の視点、どんな感想をもつのだろうって、その場にいないけど、最も大切な人の椅子を用意するのだそうです。

顧客の視点を感じ取れるようにと。

この椅子はアマゾンさんのシアトル本社で伝説となったそうです。

相手の立場、相手がどう思うか、相手から見て自分はどうか。

まさに「恕」です。


この人物ほど相手の立場を尊重した日本人はいないのではないかと思うほど、素晴らしい生き方をした日本人をご紹介いたします。

日露戦争でもっとも激しい戦闘が行われたといわれている、中国は旅順での戦い。

このときの日本軍司令官は「乃木希典(のぎまれすけ)将軍」でした。

日本軍は多くの戦死者を出しながらも(乃木将軍の二人の息子も戦死しています)、ロシア陸軍が築いた巨大な要塞を崩しました。

この勝利をおさめた乃木将軍と、ロシア軍の総司令官だったステッセルが、共に会見をしたときのことです。

あるアメリカ人が、この会見の模様を撮らせてくれと、乃木将軍に願い出ます。

それに対し乃木将軍はこう言いました。

「武士道の精神からいって、ステッセル将軍の恥が残るような写真はとらせてはならない」

その後、再度外国の記者団が写真撮影を願い出たときに、条件をつけて受け入れました。

その条件とは、ステッセル将軍に帯剣を許し、

「われらが友人となって同列に並んだところを一枚だけ許そう」と言ったのです。

敗れた側の大将が、勝利した側の大将の前で剣を脇にさすことは、当時ありえないことだったそうです。

この乃木将軍の言葉を聞いた外国人記者たちは、武士道精神の美しさと寛大さに感動したといいます。

しかし、話はこれで終わりません。

このステッセル将軍は、日露戦争敗北の責任をとらされ、ロシア皇帝より銃殺刑を宣告されました。

それを知った乃木将軍、

すぐにロシア皇帝に手紙を送り、ステッセル将軍が死力を尽くしてロシアのために戦っていたことを綴り、処刑をとりやめるよう訴えました。

その手紙のおかげか、処刑は中止され、シベリア流刑で済むことになりました。

とはいえ、遠く離れたシベリアへ送られたステッセル将軍にも家族がいます。

残されたステッセル将軍の妻や家族。

敵だった国の将軍の家族。

この敵国の将軍の家族に、なんと、自分が亡くなるまで生活費を送り続けたそうです。

この戦いで、自分の息子二人も亡くしているにもかかわらず。

相手の立場に立つということは、相手の体の中に自分の意識を入り込ませて、相手の目を使って世の中を見ることで、少しずつ見えてくるものです。

そうやって、自分の心を相手の心の中に配るから、心配りというのです。


最近の身近な例で

東日本大震災である光景がテレビで映し出されておました。

被災地の体育館で一人の中学生が雑用で駆けずり回っていたそうです。

その中学生が「なぜ、そんなに明るいの?」と聞かれて、

「3月11日までは悪がきだったが、あの日以降、自分の親も含めてみんなが他人を喜ばせるためにすぐ身近なことを一生懸命やっている姿を見た。
それなら僕にもできることがあるんじゃないか。
雑用だけど僕が走り回るたびに喜んでくれる人がいる。
こんなうれしい生き方は初めてだった」と。

この中学生の根底にあるものが「恕」の精神であり、確実に日本人の心に引き継がれていると思います。

自分があるのは、それまで多くの人から受けてきた無数の思いやりの心のおかげであり、今度は自分から次の世代に恕の心を施すことで受けた思いやりにお返ししていかなければならないと心に刻んでいるのでしょうね。

孟子は、孔子の言う「恕」は分かりづらいと言うことで「忍びざるの心(他人の悲しみや苦しみを見るに忍びない)」と言い換えたそうです。

「恕」心の如し、大切にしていきたいですね。

似ている漢字ですが「怒」とは大きな違いですよね。

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