今日のお話は、「幸せな人は幸福をゴールにしていない」というお話しです。
今日は、1月19日、今日はどんな記念日でしょうか。
空気清浄機の日
日本電機工業会が2006(平成18)年に制定。
「い(1)い(1)く(9)うき」の語呂合せ。
家庭消火器点検の日
全国消防機器販売業協会が1991(平成3)年に制定。
1と19で「119」となることから。11月9日が消防庁が定めた「119の日」であるため、1月19日を記念日とした。
119番の日11月9日
のど自慢の日
1946(昭和21)年のこの日、NHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が開始された。
ファミリーカラオケの日9月第2土曜日
カラオケ文化の日10月17日
明惠忌
鎌倉時代の僧で華厳宗中興の祖・明惠上人の1232(寛喜4)年の忌日。
幸せな人は幸福をゴールにしていない
「幸せな人は幸福をゴールにしていない」というお話です。
【本当に幸せな人は幸福をゴールにしていない】(アルフレッド・アドラー)
ともすれば人間は、金持ちになるなど自分が幸福になる姿を思い描き、そのゴールに向かって生きようとします。
しかし、そんな願望はきりがなく、そもそもゴールを目指す生き方は、志半ばで亡くなったら不幸ということになります。
一方、アドラー心理学では、人間のあらゆる行動が目的に基づいていると考えます。
この目的の内容にこそ幸福の鍵があり、健全な目的に基づき行動する人は、「1日を一所懸命生きていく中で幸せに気づく」のです。
【お金を持つことを幸福の源とするのは誤りだ。
金銭追求が手段を目的にしている点に気づけば理解できるだろう】
(アルフレッド・アドラー)
お金とは本来、私たちが生活をしたり、何か有用であることを実現するために用いる手段です。
金持ちになることが幸福だと考えて金儲けばかりに走る人は、手段と目的を混同しているので、いつまで経っても幸福にはなれないといっています。
お金に限らず、アドラー心理学は「所有の心理学」ではなく「使用の心理学」であるといわれます。
幸福についていえば、自分が持っているものが何かであるよりも、それを用いて何をしているかが重視されるのです。
幸福とは何か?
たとえばコロンブスが、幸福の絶頂にあったのはいつか?
こんなお話があります。
そもそも幸福とは「福を幸(ねが)うこと」を意味します。
つまり、まだ手に入れていない、ということなのです。
「プニャ(福)とは何か?」
「コロンブスが幸福の絶頂にあったのは、けっしてアメリカを発見したあとではない。
発見する3日前、乗組員たちが絶望のあまりヨーロッパに引き返そうとしたその瞬間にこそ幸福はあったのだ」(『白痴』ドストエフスキー著)
お金がないことは恥ではありません。
卑屈になっていることが恥なのです。
お金が欲しければ働くしかありません。
懸命に働くと人間関係の勉強もできるし、給料だっていただける。
「どうしてそんなに成功できたのですか?」という質問に、
「家が貧乏で、身体も弱く、学歴がないからです」
と答えたのは松下幸之助さんです。
ヘレン・ケラーしかり、アニー・サリバンしかり。
臆病であることは恥ではありません。
鹿は臆病だからこそ枯葉の僅かな音を察知して、虎やライオンから逃げることができます。
臆病とは慎重であるともいえます。
慎重であるから懸命に努力ができるのです。
鹿が強気になって虎やライオンに向っていけば食べられてしまいます。
「腹を括れば道は拓ける」煩悩和尚の人生を変えた、空海の言葉。(吉川政瑛著/マガジンハウス)
「美しい」という漢字をばらすと「羊」と「大きい」に分かれます。
大きい羊が美しい?
ピンときませんよね。
でも、諸説あるようですがこんな考え方もあるようです。
一番大きい羊は、羊の群れのリーダーです。
普段は群れの仲間と一緒に平和に過ごしているのですが、その群れに「危機」が迫ったときは違います。
たとえば、オオカミが襲ってきたとします。
そのとき、他の羊たちを逃がし、ただ一頭、群れとは逆の方向に駆け出していくのが「大きい羊」の役割です。
みんなが逃げているとき、たった一頭で立ち向かう、その姿が「美しい」。
自分は傷付いてでも仲間を助ける、その姿が「美しい」。
コロンブスの幸福は、乗組員たちが絶望のあまりヨーロッパに引き返そうとしたその瞬間にあった。
きっと「美しい」羊の群れのリーダーも、この敵に立ち向かう、その瞬間が幸福の絶頂で、
ミケランジェロが描いたダビデ像も、これから巨人兵のゴリアテを倒しに行く姿を描いたからこそ、評価されているのだと思います。
貧乏なことも、病弱なことも、学歴がないことも、本当は「幸福」の材料であり、「無」というものが実は貴重な資源なのかもしれませんね。