演歌以外:「孟子の性善説」について。

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今日のお話は、「孟子の性善説」のお話しです。

今日は、7月6日、今日はどんな記念日でしょうか。

サラダ記念日

歌人の俵万智が1987年に出した歌集『サラダ記念日』(河出書房新社)の中の一首”この味がいいねと君が言ったから 七月六日はサラダ記念日”から。
この歌集がきっかけで短歌ブームがおき、また、「記念日」という言葉を一般に定着させた。

公認会計士の日

日本公認会計士協会が1991年に制定。
1948(昭和23)年のこの日、「公認会計士法」が制定された。

零戦の日

1939年のこの日、零式艦上戦闘機(零戦)の試作機の試験飛行が始った。
零戦は堀越二郎が設計した日本最後の艦上戦闘機で、時速533キロ、航続距離3500キロ。1年後の中国戦線から実戦に投入され、第2次大戦中に1万機以上が生産された。

建国記念日 [リトアニア]

1253年のこの日、初代リトアニア王ミンダウカスが戴冠した。

独立記念日 [コモロ]

1975年のこの日、アフリカ沖のインド洋の島国・コモロ連合がフランスから独立した。

独立記念日 [マラウイ]

1964年のこの日、アフリカ南東部の国・マラウイがイギリスから独立した。

孟子の性善説

今日は「孟子」がいう「性善説」のお話です。

孟子は
「人はみな憐れみの心、悪を恥じる心、譲り合いの心、善悪を判断する心を持っている」

「憐れみの心は仁の始まりである」

「悪を恥じる心は義の始まりである」

「譲り合いの心は礼の始まりである」

「善悪を判断する心は智の始まりである」

「もともと持っているこれらの心を育てようとするなら、限りなく大きくなっていき、天下を安定させることもできる」

と言いました。

これを「四端説」と言います。「端」は「芽生え」のことで、これが孟子性善説の根拠となっています。


あわれみの心は、人間ならだれでも持っている。

むかしの聖人が血の通った政治を行い得たのは、この心を持っていたからである。

いまもし、あわれみの心で血の通った政治を行うなら、天下はたやすく治まるのだ。

あわれみの心はだれにもある、というわけはこうだ。

幼い子供がヨチヨチと井戸に近づいて行くのを見かけたとする。

だれでもハっとして、かわいそうだ、救ってやろう、と思う。

それはべつに、子どもを救った縁でその親と近づきになりたいと思ったためではない。

村人や友人にほめてもらうためでもない。

また、救わなければ非難される、それがこわいためでもない。

してみると、かわいそうだと思う心は、人間だれしも備えているものだ。


求むればすなわちこれを得、すつればすなわちこれを失う
訳文:求めれば得ることができ、捨てれば失う。つまり徳性はもともと内心にあるのだから、あとは人が求めるか、求めないかの心がけ次第である。


そもそも、正義と正義のぶつかり合いがケンカや戦争に発展します。

片方から見たら相手が悪いと主張しますが、もう片方の主張を聞くと、やはり相手が悪いと言います。

本当は、ひとつのはずなのに、つながっているはずなのに・・・

自分と相手を区別するからケンカしちゃう。

本当は、同じ日本に住む仲間なのに。

自国と他国を区別するから争っちゃう。

本当は、同じ地球に住む仲間なのに。

そうやって心の範囲を広げていかないと、一人になっちゃう。

自国だけ、自分の地域だけ、自分の会社だけ、自分の家族だけ、自分だけ、

優先順位が身近な人からなのは間違いなくそうだけど、他を蹴落として上がる必要はない。

それをしたら、一時的にはいいかもだけど、長くは続かない。

日本という国が、ここまで長く続いているのはもしかしたら、先人たちが他を蹴落としてまで発展しようという考え方ではなく、

「俺はいいから、お前食べろよ」

の精神だったからなのかもしれません。

求むればすなわちこれを得、すつればすなわちこれを失う

訳文:求めれば得ることができ、捨てれば失う。つまり徳性はもともと内心にあるのだから、あとは人が求めるか、求めないかの心がけ次第である。

今こそ、先人たちが受け継いでくれた教えを学ぶときだと感じます。

性善説」のポイントは、

「人は本来、善である」そして「その善は絶えざる努力によって開花される」そしてその結果、「立派な人間になれる」というところにあると思います。

逆にいえば、
人は本来「善」に生まれついているが、
放っておくと悪に向かう可能性もあるので、
立派な人になるために絶えざる努力が必要である、

ということではないでしょうか。

善いものは、千年たってもいいと思います。

そういう生き方でありたいと思います。

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