演歌以外:「幸せの本質とは」について。

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今日のお話は、「幸せの本質とは」というお話しです。

今日は、7月13日、今日はどんな記念日でしょうか。

生命尊重の日

医師・法律家・教育者・主婦等で構成される実行委員会が1984年から実施。
1948年のこの日、「優生保護法」(現在の「母体保護法」)が公布された。

もつ焼の日

社団法人日本畜産副産物協会が2011年に制定。
「な(7)い(1)ぞう(3)」(内臓)の語呂合せ。

もつ鍋の日11月7日

日本標準時制定記念日

1886年のこの日、勅令「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」が公布され、1889年1月1日から東経135度の時刻を日本の標準時とすることが定められた。

オカルト記念日

1974年のこの日、映画『エクソシスト』が日本で初公開され、オカルトブームの火附け役となった。

ナイスの日

七(な)一(い)3(スリー)で「ナイス」の語呂合せ。
ナイスなこと、素敵なことを見附ける日。

盆迎え火

盆の初日。
夕方に祖先の精霊を迎える為に、芋殻、麻幹などをを門口で燃やして、煙を焚く。
月遅れの8月13日や旧暦7月13日に行う地方もある。

盆・盂蘭盆会7月15日
盆送り火7月16日

国家主権の日[モンテネグロ]

1878年のこの日、露土戦争の講和条約である「ベルリン条約」が締結され、モンテネグロなどのオスマン帝国からの独立が認められた。

艸心忌,吉野秀雄忌

歌人・吉野秀雄の1967年の忌日。
住居の名「艸心洞」から「艸心忌」とも呼ばれる。

幸せの本質とは

海に魚が泳いでいました。

この魚は、生まれてから一度も海の外に出たことがないため、「海を見てみたい」と願い、念じました。

その魚が泳いでいる岸辺に、人が座り、釣り糸を垂らしました。

魚は、「このエサに食いついてみれば、きっと『海』が見られる」と、パクッと食いつきます。

それに応じて、釣り人は糸を引き、魚は生まれてはじめて外に出ました。

そして、外からたしかに「海」というものを見ることができました。

しかし、苦しい。

「もう十分に『海』の広さ、大きさがわかりました。これ以上『海』を見る必要はないので、海に戻してください」と魚は釣り人に頼みます。

釣り人はその願いを聞き入れ、魚を海に戻してあげました。

この「寓話」の中の「魚」が「私」です。

「海」は「幸せ」です。

私たちは、「海という名の『幸せ』の中に泳ぐ魚」であるらしいのです。

願いや望みや思いがかなうことではなく、生きていること自体が、何もないことが、何も起きず平穏無事であることが、「幸せ」の本質のようです。

「海を見てみたい」と念じた魚の前に釣り糸を垂らしたのが「神様」だとすると、釣り上げられて海を出て、はじめて海を見たものの、呼吸ができなくて苦しいという状態が、もしかしたら「病気」や「事故」なのかもしれません。

平和・平穏を脅かす「災難(病気や事故)」は、平和・平穏である日常生活(当たり前の毎日)がどれほど喜ぶべきもの(幸せの本質)であるかを教えてくれる、素晴らしい贈り物であったとも考えられるのです。

「幸せの本質」を認識できず、その「幸せの海」の中にいながら、「幸せを見たい」、「海を見てみたい」と叫んでいると、神様はその願いをかなえてはくれるようなのですが、「釣り上げられた魚」は、苦しくて、つらいらしいのです。

何かを思い通りにすることや、願いや望みをかなえることが「幸せ」ではないと思います。

平和で、平穏で、穏やかに、静かに、淡々と流れていく「日常」こそ、「幸せ」の本質であるようです。


中国の唐の時代に、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という高僧がいました。

ある日、弟子に聞かれます。

「この世の中で1番すばらしいことは何でしょうか」

それに対し、こう答えたそうです。

「“独坐大雄峰(どくざだいゆうほう)”今ここにこうして座っていられることが、最も尊くすばらしい」

今ここにこうして座っていられるというのは、代々のご先祖たちが、数々の戦争も、天災も、病も、見事くぐり抜けてきたおかげです。

生きている時点で奇跡であり、幸運じゃないかということです。


アンドレ・モーロアというフランスの小説家は、こんな言葉を残しています。

「自分が天国へチケットを持って入ったら、何をするだろうか。

やっぱり自分は妻に会いたい、子どもに会いたい、友達に会いたい。

話をしたい、原稿が書きたい。

そう考えてみると、全部、現在自分がやっていることじゃないか。

今やっていることが天国であり、今が天国だ」

天国や未来に幸せがある訳ではありません。

今、幸せであり、今が天国だったのです。

幸せの本質は、淡々と流れゆく日常にある。

幸せの海を泳いでいる魚だったのですね。

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