演歌以外:「分かち合っても減るもんじゃない」について。

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今日のお話は、「分かち合っても減るもんじゃない」というお話しです。

今日は、3月1日、早いもので、今年も2ヶ月が過ぎました。今月は出会いと別れの月ですね。春ももうすぐという感じです。
今日はどんな記念日でしょうか。

ビキニ・デー

1954(昭和29)年のこの日、太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、附近を航行していたまぐろ漁船「第五福竜丸」の乗組員が被曝した。

労働組合法施行記念日

1946(昭和21)年のこの日、労働者の地位向上を図る為の法律「労働組合法」が施行された。

マーチの日,行進曲の日

「行進曲」と「3月」が同じmarchというスペルであることから。

豚の日

1972(昭和47)年に、アメリカのエレン・スタンリー、メアリー・リン・レイブ姉妹が、最も利口で役に立つ家畜のひとつである豚への感謝をこめて制定したとされている。
アメリカ合衆国の各地で豚の品評会が行われる。

デコポンの日

日本園芸農業協同組合連合会が制定。
1991(平成3)年のこの日、柑橘類の一種・デコポンが初めて出荷され、東京の果実市場で取引された。

切抜の日

内外切抜通信社が制定。
1890(明治23)年のこの日、各種の新聞等から顧客の必要な情報だけを切抜いて提供する日本初の切抜の会社・日本諸新聞切抜通信が設立された。

防災用品点検の日

防災アドバイザーの山村武彦氏が提唱。
関東大震災の起きた9月1日のほか、3月1日・6月1日・12月1日の年4回。

独立記念日[ボスニア・ヘルツェゴビナ]

1992年のこの日、ボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラビアからの独立を宣言した。

三汀忌,微苦笑忌

小説家・劇作家・俳人の久米正雄の1952(昭和27)年の忌日。
俳号の三汀から三汀忌、久米正雄が微笑と苦笑を合わせて作った造語「微苦笑」から微苦笑忌と呼ばれる。

分かち合っても減るもんじゃない

何かを分け与えるとき、ほとんどの人が「減ってしまうのではないか」と考えて、分け与えることが出来ません。

でも実際は、分け与えるほどに増えていくのではないかと思います。

ブッダはこう言いました。

「一本のろうそくから何千本ものろうそくに火を灯すことができるが、

もとのろうそくの寿命が短くなることはない。

幸福も、分かち合ったからといって減ることはない」

例えば、お腹が空いている二人の兄弟の前に、パンが一つあったとします。

もし、お腹を空かせた弟から力ずくで奪い、一人で食べてしまったなら・・・

弟は悲しみ、兄もきっと罪悪感で苦しくなると思います。

分け合い、二人で食べたほうが二人とも幸せで、その方が美味しく感じます。

いつかこの恩を返そうと、弟は兄に、兄は弟に、ご馳走する日が来るかもしれません。

分け合った方が増えるのです。


居酒屋さんで、こんな話があります。

そのお店で働いていたA君というスタッフが独立することになりました。

オーナーさんは、よく働いてくれたA君には感謝しているので、自分のお店に来ているお客さんにも沢山宣伝しました。

お陰でA君のお店は徐々に軌道に乗り、繁盛していったのですが、そのオーナーのお店もお客さんが減るどころか繁盛していったのです。

不思議ですよね。

横浜の中華街は、今でこそ観光客でにぎわっていますが、元々は一軒の中華料理屋がはじまりだったそうです。

その中華料理屋がそこそこ繁盛してきたときに、その友人が相談に来ました。

「おれも中華料理屋やろうかな」

そしたら、元々やっていたお店の人はこう言いました。

「それなら、うちの隣でやりなYo」

普通だったら、隣にお店を出されたらマズイと思いますよね・・・

でも、この人は、隣にあった方が、調味料が足りなくなったら貸し借りできるし、どちらかが満席だったら隣のお店に案内できると考えたんですね。

そうして、一人、また一人と増えていき、今の中華街になったといいます。


一人勝ちをしようと思うと、最初はいいかもしれませんが、長くは続かないでしょう。

敵をつくってしまうからです。

無敵は最強です。

無敵とは、敵がいないことです。

敵をつくって戦っていたのでは、いつか敗れる日がきます。

自分が困っている時でさえ、他の困っている人のことを想える人がいる一方、

自分は足りていてもなお、奪おうとする人もいる。

「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」とは、詩人“相田みつを”さんのことばです。


有名な天国と地獄の「1メートルの長い箸でうどんを食べる」お話です。

地獄にも天国にも、部屋の真ん中に大きな釜があり、おいしいうどんが煮えているそうです。

ただし、その食べ方のルールは決まっていて、1メートルの長い箸で、しかもその端を持って食べなければならないのです。

つまり、釜の大きさも、釜を囲んでいる人数も一緒で、そこにいる人の心だけが違っていると・・・

心が違うとどうなるか?

地獄では、自分でうどんを掴み取り、自分の口に持って行こうとするが、1メートルの箸なので届かない!

反対側からは、こいつに食われてたまるかと奪い合う。

結果的にうどんが飛び散ってしまい、だれもうどんを口に出来ない。

極楽では、みんなで分け合えるように、自分が箸で掴んだうどんを、反対側の人に食べさせてあげる。

今度はあなたがどうぞと、自分が食べさせてもらう。

そうして全ての人がニコニコしながらうどんを食べる。

まさに、

「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」

この世の中でも、この天国と地獄は同じことが言えます。

奪い合っている人の心は、いつも不満を抱えているでしょう。

分け合っている人の心は、いつも幸福感を感じることでしょう。


マザー・テレサは言いました。

与えることを学ばねばなりません。

でも、与えることを義務として考えるのではなく、与えたいという願いとすることが大切です。

一緒に働いている人たちにいつも言っていること。

「余った物、残り物は要りません。

私たちが仕えている貧しい人たちは、あなた方からの憐れみも、見下すような態度も必要としていないのです。

彼らが必要としているのは、あなた方の愛と親切なのです」。


与えるものは人それぞれ。

お金を与える人もいれば、モノを与える人も、知識や知恵を与える人も、さまざま。

でも、間違っちゃいけないのは、与えてやる、くれてやる、教えてやる、といった心持ちでは意味をなさないのです。

どんなに苦しくても、与える人でありたい。

どんなに忙しくても、与えることが出来る人になりたい。

何のために本を読むか?

何のために学ぶのか?

何のために仕事をするのか?

それはきっと、誰かを喜ばせるため。

自分だけのためだったら、なにもしないでしょうね。

家族がいたり、友人がいたり、お客さんがいたり、そうして支えてくれている人に、自分の周りの人に、少しでもお役に立ちたい。

偽善でもなんでもいい。

無いものは与えられませんからね。

与えると言うとおこがましい気がしますので、「お裾分け」できるよう、これからも生きていこうと思います。

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