演歌以外:「こうなると楽しい」について。

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今日のお話は、「こうなると楽しい」というお話しです。

今日は、5月24日、今日はどんな記念日でしょうか。

ゴルフ場記念日

1903年のこの日、日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」がオープンした。

ゴルフ記念日5月28日

伊達巻の日

厚焼き卵などの寿司具を製造する千日総本社が制定。
伊達巻の名前の由来という説のある伊達政宗の忌日。

コモンウェルスデー(CommonwealthDay)[イギリス]

1819年のヴィクトリア女王の誕生日。ヴィクトリアの治政中はイギリスの国勢が最も盛んであったことから、これを記念して祝日となった。
コモンウェルスとはイギリスとその植民地であった国で作るイギリス連邦のことであり、かつては「エンパイヤデー(帝国の日)」と呼ばれていた。

独立記念日[エリトリア]

1993年のこの日、エリトリアがエチオピアから独立した。

ピチンチャ戦勝記念日[エクアドル]

1822年のこの日、エクアドル独立戦争・ピチンチャの戦いで反乱軍がスペインに勝利した。

こうなると楽しい

「こうなると楽しい」というお話です。

「こうでなきゃ嫌だ」と思ったら、待っているものは「嫌だ」か「ゼロ」。

「こうなると楽しい」と思ったら、待っているのは「楽しい」か「ゼロ」。

「執着」と「おもしろがる」とはどう違うのでしょうか。

執着というのは、「こうでなければ嫌だ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。

それに対して「おもしろがる」とは、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。でも、そうなるといいなあ」「そうなるとうれしいな」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思うこと。

それが「おもしろがる」ということになります。

「こうでなければ嫌だ」と思ったときに、執着になります。

超能力の点から考えても、「こうでなければ嫌だ」と思ったときは脳波がβ波になって、実力でしかものごとを解決することができません。

一方、「こうなるとうれしい」「こうなると楽しい」「こうなると幸せだ」と思ったときは脳波がα波になり、不思議な力が助けてくれます。

超能力的な解決方法とでもいうのでしょうか。そういう力が、どこからか支援してくれるのです。

「こうでなきゃ嫌だ」と思ったときは、「嫌だ」か「ゼロ」しか待っていません。

「こうなると楽しい」と思ったら、待っているものは「楽しい」か「ゼロ」。

喜びが上乗せされるだけの日々になるのです。

例えば「結婚」を例にとってみても、

1「結婚して幸せにならなかったら嫌だ」と思うか、

2「結婚して幸せになったら楽しいな」と思うのかで、その途中のプロセスが全然違うものになってきます。

1は、最後だけ幸せ。

2はいつも幸せ。

しかし、1が最後にたどり着ける保証はない。

多くの人は「何らかの結果」について「幸せ」か「不幸せ」かの判断しています。

でも、「結果」というのは誰も事前に100%の予測することができませんし、コントロールも難しいでしょう。

幸せを「結果」に求めてしまうと、誰にも予測したり、コントロールしたりできなのですから、あとは運任せ、博打みたいなものだということになってしまいます。

「結果」ではなく、「プロセス」そのものに幸せを見出せれば、そこに向かっているあいだ中ずっと幸せな気持ちでいることができます。

うれしい、楽しい、気持ちいい、すがすがしい、誇らしい、といったポジティブな感情が得られるものをゴールに設定すると、そこに向かうための「選択」は、必ず幸せを感じる選択につながります。

旅行の計画をたてるのも、そこに向かう飛行機のなかも、途中に遭遇するアクシデントも、嵐のような天気も、仲間との言い合いも、全てが「幸せ」に向かう行為になるということです。

結果だけを「幸せ」としてしまったら、大雨が降って「不幸」となり、仲間と言い合ってまた「不幸」となってしまうのです。

これは余談ですが、子どもの勉強も、「結果」をほめられて育った子は、次第に勉強しなくなったり挑戦しなくなったり易しい問題ばかりを解くようになるそうです。

なぜなら、「結果」をほめられるので、「結果」で失敗したくないという心理がはたらくからです。

逆に、プロセスをほめられて育った子は、勉強していること自体をほめられるので、結果に関係なく果敢に挑むことができます。

時間はかかるかもしれませんが、長い目で見たら「プロセス」をほめた方が最終的には良い結果になっていくのでしょう。

【大事にすべきは結果よりもプロセス】

プロセスごと楽しんで行く方法が、「こうなれたら楽しいな、うれしいな」ですね。

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