演歌NEWS:「五八(ごっぱち)戦争」について

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歌謡曲の黄金期である70年代が終わり、そして迎えた1980年。それでもなお、芸能界の中枢は「歌謡曲」でした。

暮れの風物詩といえば、「紅白」と「日本レコード大賞」でしたね。

賞レースは史上まれにみる壮絶な展開となる。歌謡界を代表する五木ひろしと八代亜紀が雌雄を決した「五八戦争」は、今なお、レコード大賞の語り草ですね。

歌手の五木ひろしさんが16日放送のTBS系「サワコの朝」に出演して八代亜紀さんと争った「五八(ごっぱち)戦争」について語っていました。

当時は年末になると賞レースが花盛り。「賞というのは大きな目標ですから。毎年、戦っていた」と振り返った五木ひろしさん。

そのライバルが八代亜紀さんで、「八代亜紀さんは僕が銀座で歌っていたころ、同じクラブで、僕のギターの伴奏で歌っていた子ですから」とデビュー前から競っていたことを明かした。

デビュー後も切磋琢磨しあい「(賞レースで)戦うことになって、いわゆる『五八戦争』です。
「全部負けましたけど」と苦笑い。
八代亜紀さんは喜ぶと同時に、五木ひろしさんにも一緒に喜んでもらってほしかった。だが「僕は悔しくて、踏んだり蹴ったりでした。それからよりいっそう頑張りました」と負けたことが励みになった。

五木ひろしという歌い手の凄さ

「こちらが100点のつもりで書いたものを、あっさり120点に仕立ててしまう。それが五木ひろしという歌い手の凄さでした」

作曲家の岡千秋は、自身も都はるみとのデュエット「浪花恋しぐれ」(83年)を大ヒットさせた歌手でもあるが、ひたすら尊敬の念を抱くのが五木である。

 そんな岡が五木に提供した「ふたりの夜明け」は、賞レースの本命とされながら、わずかに及ばなかった。

「あんまり悔しくて、しばらくは浴びるように酒を飲んでもまったく酔えなかったよ」

 そして同曲を作詞した吉田旺は、大みそかの授賞式で五木の異様な姿を見る。

「あんなにがっかりした表情の五木君を見たのは初めて。僕も詞を書いた以上は勝たせてあげたかったし、彼も獲りたかったと思う」

 吉田は72年に大賞を受賞した「喝采」(ちあきなおみ)を作詞している。本命ではなかったのに逆転を果たしたのは“時の運”が味方していると思った。逆に五木が栄誉を逃したのは、目に見えない何かが足りなかったのだろうか‥‥。

「特に敗れた相手が八代亜紀というのも彼には悔しかったでしょう。同じような下積み時代を過ごした2人でしたから」

 五木は65年に「松山まさる」の名でデビューしたが、まったく売れず。以降も改名を繰り返し、ようやくつかんだのが「全日本歌謡選手権」(よみうりテレビ)での10週勝ち抜きと、4つ目の芸名となった「五木ひろし」での出世街道だった。

 八代も、五木と同じく「歌謡選手権」の10週勝ち抜きが転機となった。もともと2人は10代の頃から銀座のクラブ歌手として旧知の仲であり、五木のブレイクを誰よりも喜んだのが2つ年下の八代であった。

賞レースの次のステージになったのが、当時全盛を極めていた同局の歌番組「ザ・ベストテン」だった。
「ザ・ベストテンに出ること、少しでも上に行くことが目標」と語ったとおり、番組通算12年間の1位が、五木ひろしさんの代表曲『長良川艶歌』に輝いた。「あの番組は、アイドル系やポップス系が強かった。

演歌というのは(ヒットに)時間がかかるんです」と解説。『長良川艶歌』も順位が上下したことから「これを『鵜飼い現象』と言ったもんです」と懐かしそうに目を細めていた。

近年はジャズを歌うなど幅広く活躍中する八代亜紀さん。

デビューは1971年と、歌謡曲全盛期を体験した彼女は、今でも忘れられない思い出があるという。

70年代から80年代は歌謡曲の全盛時代、ほぼ毎日ゴールデンタイムに歌の生番組があり、賞レースはお祭りのようでしたね。80年はヒット曲が多く生まれて、誰が日本レコード大賞を獲ってもおかしくない感じでしたが、五木ひろしさんの「ふたりの夜明け」と私の「雨の慕情」のどちらかが大賞を獲りそうだと業界が煽り、〈五八(ごっぱち)戦争〉という言葉まで生まれました。

五木さんとはまだ売れない時代に銀座のクラブで一緒に歌った“流行歌仲間”だし、戦争だなんていわれても私自身ピンとこないわけです。当時は過密スケジュールをこなすだけで精いっぱいだし、テレビ局からテレビ局への移動の車に看護師さんに乗ってもらって点滴を受けていたくらい(笑)。でも騒動が過熱する中で、「賞を獲るな」とか脅迫めいた手紙を(ほかの歌手のファンを名乗る人から)もらったこともありました。一緒に住んでいた父が心配して、私が事務所の車で仕事に出かけるときと帰ってくるときに大通りまで見送りと出迎えに来ていましたよ。

ありがたいことに結局、レコード大賞を受賞しましたが、その瞬間、日本武道館の会場で五木さんのもとへ駆け寄り、ありがとうって言いました。
彼は唇を噛んで何も言わず、私もちょっと切ない気持ちに。でもいざ受賞曲を歌い始めると、会場の雰囲気が一転したんです。その年の新人賞は田原俊彦君の「ハッとして!Good」や「青い珊瑚礁」の松田聖子ちゃんなどがノミネートされ、「ハッとして……」が受賞していたんですが、会場にいたトシちゃんや聖子ちゃんのファンが「雨の慕情」を一緒に歌ってくれた。雨、雨、ふれふれというサビでは皆が手のひらを天に向ける振り付けをまねて大合唱、感動しました。

昭和のよき思い出には、藤圭子ちゃんのこともあります。圭子ちゃんは1歳下だけどデビューは2年先輩。クールに見えてあがり性で、楽屋でいつも手が冷たくなって震えているの。「アキさんどうしよう」と言うから、「大丈夫よ」と両手でよく手を温めてあげました。圭子ちゃんが引退してアメリカに渡り、その後結婚して、しばらくして日本に戻ったときに何かの番組で再会したことがあります。リハーサル時にスタジオを小さな女の子が走っていて、圭子ちゃんが「こらっ」と叱っていた。それが宇多田ヒカルちゃんでした。

あれから数十年、音楽シーンは変わりましたが、八代亜紀さんは今もライブを年100日前後行っています。
若いひとからも「生の『舟唄』聴かせて~」とせがまれるそうです。

昭和の歌を今の時代にも受け入れてもらうのは嬉しいですね。

お酒はぬるめの燗がいい~なんて酒通っぽく歌い続けているけれど、八代亜紀さんは、一滴も飲めないそうです。

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