演歌紹介。津軽ひろ子さんの「どっちみち人生」

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今回の演歌好きの演歌紹介は、津軽ひろ子さんの「どっちみち人生」です。

あの…「津軽ひろ子」健在なり!満を持しての再デビュー。

 

どっちみち人生」 ”夫婦草紙”を歌うのは 津軽ひろ子さん。

久々のCD発売となります。夢レコードから5月31日発売されています。

本当に小さい時から妹さんと流しをしたり、苦労を重ねていらっしゃいましたが、芸と気持ちはまっすぐ。今回は明るい歌を歌っています。

USEN HIT演歌ランキングで4位にもなっています。

津軽ひろ子 「どっちみち人生

津軽ひろ子 「どっちみち人生

1. どっちみち人生
[作詞:鈴木きよ/作曲:川奈右京/編曲:桜庭伸幸、丸山雅仁]
2. 夫婦草紙[作詞:久仁京介/作曲:西 つよし/編曲:丸山雅仁]
3. どっちみち人生(オリジナル・カラオケ)
4. 夫婦草紙(オリジナル・カラオケ)

夢レコード | 津軽ひろ子「どっちみち人生」 – 夢グループ

http://www.yume-gr.jp/yumerecords/YZYM-15052.htm

津軽ひろ子 公式ホームページ

http://tsugaruhiroko.com/

津軽ひろ子 どっちみち人生/夫婦草紙 クラウン徳間ミュージックショップ

http://crowntokuma-shop.com/products/detail/CTM00009X8

津軽ひろ子プロフィール

<プロフィール>引用

名前 津軽ひろ子
本名 飯田寛子
誕生日 1月28日
出身地 青森県黒石市飛内
血液型 O型
身長・体重 155.5cm 57kg
趣味 釣り・料理・スキー・ギター
特技 三味線・料理・車の運転
好きな食べ物 フルーツ・野菜・お魚・お肉・ワイン
好きな色 白・紺・ピンク
好きな言葉 感謝・努力・忍耐・風は小枝を動かし心は人を動かす
コレクション ハンカチ・扇子・ぬいぐるみ・髪飾り・風呂敷

昭和37年4月(かしまし娘)弟子入り。正司敏江、津軽ひろ子、亡き妹たみ子、3人トリオで、ちゃっかり娘漫才でデビュー。
昭和42年テイチクレコードで歌手デビュー。“東京三味線姉妹”で「さすらい三味線」「チンツルおけさ」
昭和44年5月森繁久弥先生の紹介により、コロムビアレコードから“津軽洋子、桂子”で「汽車コさのって」全国デビュー。
昭和49年ビクターレコードより“ふるさと姉妹”で「津軽おんなは泣いていた」発売。その後、妹倒れる。
昭和52年12月故青島幸夫先生の特別番組日本テレビ「お昼のワイドショー」出演
昭和53年1月4日フジテレビ特別番組「3時のあなた」出演
昭和53年クラウンレコードより“津軽ひろ子”で「帰れないんだよ」発売。作詞:星野哲郎(名づけ親)
昭和58年8月25日妹たみ子33歳で他界
昭和59年1月より全国縦断リサイタル。後の21年間で昼夜合わせ8,000回、600万人動員。

 

津軽ひろ子さんは青森県黒石市に生まれる。

津軽ひろ子さんには2つ違いの妹がいた。
5才の時三味線を引き歩いて門付け家業。
12才で両親を失い、ひろ子とたみ子は流れ歩いて大阪は『かしまし娘』の内弟子となり、厳しい修業が続く。
ちゃっかり娘として敏江、冷児の敏江とひろ子とたみ子の3人は大きな劇場に出るようになり話題の人となるも、4年後敏江の結婚で解散。
津軽姉妹として名前を変え、森繁久弥先生の紹介で1967年チンツルおけさで歌謡界にデビューする。
星野哲郎先生の作品で40数枚のレコードをだしたが売れなかった。
1977年10月、妹たみ子は病の床につく、心筋梗塞と腎臓病に高血圧280。人工透析開始して7年間闘病ののち1983年7月16日意識不明で植物状態になり、40日間の看病のかいもなく8月28日、33才の若さでこの世を去った。
闘病生活の中、全国の皆様から寄せられた励ましの言葉や愛の献血。たとえ1分1秒でも長く生きてほしい……。
幼いころから苦労しながら同じ夢を追い続けた姉妹、その妹たみ子は若くして散ってしまった。
ひろ子は天涯孤独になった。幼い頃の両親との別れ、そして妹との別れ。

妹たみ子の短い人生を支え、力付け励ましてくれた全国のお世話になった皆様方に、姉ひろ子は妹たみ子に代わって歌によって恩返しが出来るものならばと、妹たみ子の遺志を継ぎご奉仕したい、微力ではあるが、社会福祉に役立つものならば、それは姉ひろ子に託された「人の命の尊さの心」であった。
声の続く限り、力の続く限り、歌がこの世にある限り、お客様のいる限り、津軽のじょっぱりで明日に向かって唄い続けています。
全国各地で社会福祉事業の一環としての津軽ひろ子ショーは、今日もどこかで公演されているでしょう。

 

全国縦断無料公演「終わりのない歌の旅路」

その歳月20年、昼夜2回公演で8000回達成、動員数600万人。
津軽ひろ子涙の歌の演歌節、三味線、演歌、民謡で綴る2時間のステージでした。
この企画は24年前夏の盛り8月25日、朝、妹民子が女の厄年33歳の若さでこの世を去ったときから始まりました。
これは、7年間の闘病生活の間、全国から寄せられた温かいお見舞金や品々、励ましの手紙、たくさんのお心を頂き、妹民子が、姉ひろ子に、私がお世話になった町々へお姉さんの歌でお返しをしてほしい、その妹の遺言で全国無料公演を始めたのです。
この公演に全面的なご協力を頂いたのは、各市の市長様、町長様はじめ、福祉に携わる行政の皆様、会場を免除や減免にして頂き助かりました。
農協、商工会議所・商工会、社会福祉協議会、老人クラブ、カラオケ同好会などの皆様には、御招待券の配布にご協力頂き、この公演が無事に開催できました。
皆様のおかげと心から感謝しています。
平成16年12月25日、佐賀県武雄市文化会館を最後に無料公演を終了いたしました。

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