演歌話題:阿久悠さん没後10年

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今日の話題は、阿久悠さん没後10年の話題です。

今年2017年は、阿久悠さんの没後10年ですね。いろんなメディアで阿久悠さんの話題が出ています。その中で今日は京都新聞に掲載された話題です。

 

※画像はAMAZONの画像を利用させていただいていますのでクリックするとAMAZONのページに行きますので行きたくない方はクリックしないようにしてください。

名を出したわけでもないのに王貞治さんに「僕の歌をありがとう」と感謝されたという。

<背番号1のすごいやつ>で始まるピンク・レディーの「サウスポー」である。

作詞した阿久悠さんが自著で述懐している

▼阿久さんが亡くなってから10年が経過した。節目の今年は関連書が出され、テレビ番組も放映された

▼「時代と格闘した」と形容される作風で演歌、アイドルから「ピンポンパン体操」まで5千作以上を世に送り出して歌謡曲の黄金期を築いた。オーディション番組「スター誕生!」のこわもて審査員として記憶される方も多かろう

▼阿久さんが活躍した1970年代、流行歌は街角に流れて、人々が口ずさむ存在だった。時代や世相を映し出し、皆が分かち合った。だが歌謡曲は時代の流れで下火となっていく

▼亡くなる前年には刺激的な題のエッセー「誰が歌謡曲を殺したか」を世に問いかけた。<プロにしか書けない/歌えない>ような<聴き歌>がなくなった、と嘆いた

▼それから10年、若者らはスマホにイヤホンを差して音楽を聴き、メンバー人気投票券付きのアイドルCDがチャート上位を占める。そんな時世に、大衆の心を震わせ歌い継がれる楽曲が生まれ出るだろうか。阿久さんは「勝手にしやがれ」と泉下で苦り切っているだろう。

[京都新聞 2017年10月20日掲載]より引用

前回の阿久悠さんに関する記事はこちら「阿久悠さん没後10年、作詞家50年、生誕80年メモリアル・コンピレーション」としてメーカー7社によるコンピレーションアルバムを同時発売

今回の演歌話題は、「阿久悠さん没後10年、作詞家50年、生誕80年メモリアル・コンピレーション」としてメーカー7社によるコンピレーションアルバムを同時発売する話題です。 今年2017年は、阿久悠さんの没後10年、作詞家50年、生誕80年のメモリアル・イヤーに、TVドラマからコンサートから、各種イベ...

ピンク・レディーの「S・O・S」に隠されたモールス事件の真相

「S・O・S」は、65万枚のヒットとなる。それに引っ張られる形で「ペッパー警部」もチャートに再浮上したのだ。そこからは、怒濤の進撃が始まる。

 3カ月ごとに新曲を発表していく。新しい詞ができるたび、伊東市の宇佐美にある阿久さんの自宅に、原稿を受け取りにいった。

 「原稿は必ず手渡しでした。阿久さんは『コピーやファクスでも渡せるけれど、それでは温度が下がっていくんだ』とおっしゃっていたんです。その半面、阿久さんは、原稿を受け取ったときの私の顔を見ていたんだと思いますよ。感動しているなとか、いちゃもんをつけそうだなとか。顔をみればわかるとも話してましたね。まあ、文句をつけるなんて、よっぽどじゃないとできませんと。後にも先にも1回だけでしたよ」

 それが「サウスポー」だった。

常識を非常識に変えたピンク・レディー「曲作りは時代とのキャッチボール」

昭和を代表する作詞家、阿久悠さん(享年70)が亡くなって今年で10年。ピンク・レディーや岩崎宏美のディレクターとして仕事をともにしてきた飯田久彦氏(76)が“仕事人”としての阿久さんの姿を語る。
レコード会社、ビクターでディレクターをしていたとき、日本テレビ系「スター誕生!」に出演した静岡出身の女子高生デュオに心を奪われた。

 「前年にザ・ピーナッツが引退したので女性デュオを作りたかった。で、たまたま2人に出会った。会社は『スタ誕』で清水由貴子にプラカードを上げろと言っていたが、僕は会社の了解なしに2人に上げたんです」

 1976年2月のことだ。当時、年末の数々の音楽祭に出場するには、4月デビューでないと間に合わない。しかし、どう急いでもデビューは8月。「生半可なポップスをやっても売れない。だから阿久さんに相談したんです。賛否があっても、みんなが驚くものをお願いしますと」

 作詞家の阿久さんと、作曲家の都倉俊一氏がタッグを組んだ。都倉氏がカクテルの名前から「ピンク・レディー」と名付けた。「常識をくずして非常識に変えよう」との思いがスタッフの中に生まれていた。そして阿久さんは2つの詞を書いた。

 「1つが『ペッパー警部』、もう1つが『乾杯!お嬢さん』。会社的には普通のポップスの『乾杯~』だったが、僕らが選んだのは『ペッパー警部』だった」

 そこには、阿久さんのある考えがあったのだ。

「阿久さんがよく言ってたのは、タイトルが一番大事だということ。『お前、ディレクターなんてものは、ポケットの中にいつも20や30のタイトルは持っていないと務まらんぞ』とよく言われたものです」
76年8月、ピンク・レディーのデビュー曲「ペッパー警部」は、オリコンの100位内には何とか入ったが、翌週には圏外に。「3カ月後に2作目の『S・O・S』を出したのですが、このとき阿久さんは本当に50ぐらいのタイトル案を用意していたんです。そこから選んだのが『S・O・S』。しかし、まさか子供たちに受けるとは思ってもいなかった」

 時代は動き始めていた。「阿久さんは『曲作りは時代とのキャッチボールだ』とよく言っていました。まさに時代に逆らって、時代をしっかりと受け止めたのがピンク・レディーだった」

阿久悠さんが手掛けるた曲のジャンルは歌謡曲、演歌、アイドル歌謡曲、フォークソング、コミックソング、アニメソング、CMソングと幅広くありますね。中でも歌謡曲の詞から感じる叙情が多くの人の心をつかんでいまでもカラオケなどで歌われていますよね。

そんな阿久悠さんの作曲した曲は、5曲も日本レコード大賞に選ばれるほどですからやはり偉大な作詞家だと思いますね。

今日もどこかで阿久悠さんの作詞された歌が歌われていることでしょうね。