演歌NEWS:作曲家で歌手の平尾昌晃さんをしのぶ「葬儀・告別式」

Pocket

スポンサーリンク

今日の話題は、今年7月、79歳で亡くなられた作曲家で歌手の平尾昌晃さんをしのぶ「葬儀・告別式」が営まれ、親交のあった音楽関係者などが別れを惜しんだ話題です。

平尾昌晃さんは昭和33年に歌手としてデビューされ、「星は何んでも知っている」や「ミヨちゃん」などの曲をヒットさせたあと、作曲家として「霧の摩周湖」や「瀬戸の花嫁」など、数多くのヒット曲を生み出しましたが、ことし7月、肺炎のため79歳で亡くなられましたね。

10月30日に東京・港区の青山葬儀所で営まれた「葬儀・告別式」には、遺族や生前に親交のあった小柳ルミ子さんや布施明さん、五木ひろしさんなど多くの音楽関係者が参列しました。

 

※画像はAMAZONの画像を利用していますのでクリックするとAMAZONのページに行きます。

小柳ルミ子、平尾昌晃さん音楽葬で『瀬戸の花嫁』号泣合唱…アグネスら30人と

http://www.sanspo.com/geino/news/20171031/geo17103105050019-n2.htmlより引用

7月21日に肺炎で死去した作曲家、平尾昌晃さん(享年79)の葬儀・告別式が30日、東京・青山葬儀所で営まれ、歌手の布施明(69)、五木ひろし(69)ら約2200人が参列した。
故人が生み出した名曲で送る“歌唱葬”となり、小柳ルミ子(65)は「瀬戸の花嫁」を歌手仲間約30人と号泣しながら熱唱。
「泣き虫ルミ子を見守ってください。
これからも大切に歌っていきます」と恩師に誓った。

誰もが知るメロディーが斎場に響き渡る。
明るく派手なことが大好きだった平尾さんを、“弟子”たちが歌声で送った。

 葬儀は7月末に密葬で営まれており、今回が公の葬儀・告別式。
ステージを模した祭壇(高さ90センチ、幅14・4メートル)には3万本以上の花や2003年に受章した紫綬褒章、愛用のギターが飾られ、笑顔の遺影と、紙テープが巻かれたロカビリー時代の写真パネル(2メートル70)が弔問客を迎えた。

 恩師の“ラストステージ”でトップバッターを務めたのは、門下生代表の布施と五木。

 1966年の「霧の摩周湖」などのヒット曲を手掛けてもらった布施は「一番弟子にしていただけたことを感謝します」とあいさつ。
71年に「よこはま・たそがれ」で再デビューした五木も、「五木ひろしのスタートを切ることができました」と語り、両曲をデュエット。
2人で歌うのは初で、数珠を握りしめて力強く歌い上げた。

 そして、“トリ”に登場したのは、デビュー曲「わたしの城下町」(71年)や「瀬戸の花嫁」(72年)などを提供してもらった小柳。
遺影を見つめながら号泣し、「厳しくも優しく、かわいらしい先生が大好きでした」と涙をぬぐった。

世代を超えて愛される「瀬戸-」を歌唱する際は、アグネス・チャン(62)、九重佑三子(71)ら歌手仲間約30人や、次男で歌手、平尾勇気(36)も参加し、天国へ届けとばかりに大合唱。
法名「慈嚴院照音晃道居士(じごんいんしょうおんこうどうこじ)」が意味するように、音楽を通じて世の中を照らしてきた故人の功績をたたえる豪華コラボに万雷の拍手が起きた。

 イントロから涙が止まらない小柳は「いつも『ルミ子は泣き虫だから』としかられていましたけど、今日もダメでした。
これからも大切に心を込めて、歌っていきます」と天を見上げた。

主な参列者

 布施明、五木ひろし、小柳ルミ子、原辰徳、田辺靖雄、ささきいさお、コロッケ、山川豊、三遊亭円楽、水木一郎、氷川きよし、湯川れい子、アグネス・チャン、山田邦子、栗田貫一、大月みやこ、モト冬樹、細川たかし、岡千秋、堺正章、水谷豊、アニマル浜口、中尾ミエ、石田純一、青木功、ミッツ・マングローブ、中嶋常幸、中山秀征、柏木由紀子、森口博子、九重佑三子、金沢明子、西田あい、つのだ☆ひろ、北川大介、松原健之、デヴィ夫人(順不同、敬称略)

作曲家・平尾昌晃さん悼み…布施さん、五木さんら熱唱

http://www.asahi.com/articles/ASKBZ3WFJKBZUCVL00S.htmlより引用

7月に79歳で亡くなった作曲家の平尾昌晃さんの葬儀(葬儀委員長・渡辺美佐・渡辺プロダクショングループ代表)が30日、東京都港区南青山の青山葬儀所であった。
布施明さん、五木ひろしさん、小柳ルミ子さん、原辰徳さんら生前親交のあった歌手や芸能人、スポーツ関係者多数が訪れ、平尾さんの死を悼んだ。

 祭壇には愛用のギターとデビュー直後のアルバムジャケットなどが飾られた。
布施さんは「平尾先生の1番目の弟子にしていただき、感謝している」、五木さんは「いただいた作品を生きている限り歌い続けていく」と遺影に語りかけ、2人一緒に「霧の摩周湖」「よこはま・たそがれ」を熱唱した。

 小柳ルミ子さんは「東日本大震災の後、2人で一緒に被災地を慰問したこと、今でもはっきり覚えています。
愛情深い先生は、師であり、親でもありました」とお別れの言葉を述べ、「瀬戸の花嫁」を参列者とともに熱唱した。

作曲家の平尾昌晃さんは生前、大の巨人ファンとしても有名ですよね。
読売巨人軍の前監督の原辰徳さんは、「先生との出会いは、ドラフトが終わり、巨人軍入団が決まった頃でしたね。大きな希望と小さな不安をもっていたあの頃。先生のご自宅に招いていただき、おいしい食事とともにいろいろな指導をしてくださり、息子のように優しく接してくれました。あれから38年もたったのですね。平尾先生はプロフェッショナルの真の姿を教えていただきました。父(原貢さん)らと今頃、天国で『辰徳はユニホームを着ていないんだな』と話していると思う。今は、少し休んでいますが、野球への情熱は健在です。その時には、応援してください」と呼びかけるように弔辞を読まれていましたよね。

作詞家の阿久悠先生といい、作曲家の平尾昌晃さんは「昭和」という時代の演歌・歌謡曲の世界とどまらず、日本の音楽シーンに多大な功績を残されましたよね。

「時代」という移り変わりを実感しますね。

スポンサーリンク