演歌以外:『母さん、ごめん。』50代独身男の壮絶な介護奮闘記と認知症の話題

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今回の話題は、認知症の話題です。ある日突然、認知症を発症した母との奮闘記を描いた「母さん、ごめん。」という本と認知症の話題です。

先日から「えんかすき」の周りは年配の方が多くて、いろんな話題には事欠かないのですが、高齢化社会で70歳の方が90歳過ぎの方の面倒を見ているというのは普通にありますね。
お互い元気でいればいいのですが、片方が認知症を患っていると、そりゃ大変らしいです。

わたし自身は、自分の親を介護した経験がないのですが、周りの人の話を聞いたり、このほんの中で著者が体験した問題の数々には「こんなこともあるのか……」と正直、驚かされました。

そんなときにこの本「『母さん、ごめん。』――50代独身男の壮絶な介護奮闘記」に出会いました。

 

50代・独身・男性」が1人で母の介護に向き合うケースは希(まれ)でしょう。

確かに、現在では、「希(まれ)」かもしれません。
しかしながら、非婚、少子化、高齢化がさらに進んでいくこれからの日本では、「よくある話」になっていくのではないかと思います。

働き盛りの世代は、親を心配しつつも割く時間がなく、特に根拠もないまま「年を取ったけれど、それなりに元気で過ごしているはず」と信じている方が多いと思います。
自分自身、母と同居していても、彼女が認知症だとなかなか気づくことができなかった。
「ずっとこんな日常が続くはず」という、小さな、しかし深い思い込みがあったのだ。

後から考えると、あれが前兆だったのだ、と思うようなことでも、リアルタイムでは、「まあ、年も年だから、このくらい普通だよね」と考えてしまいがち。

この本を読んでいると、介護という困難を自分ひとり、あるいは身内だけでやるのが無理であることがよくわかります。

「家族の問題」だからと、自分たちだけで背負うのは「美談」にみえるけれど、介護される側にとっても、必ずしもベストな選択肢ではないのです。

「家族がいい」「家族じゃないとダメ」と思いがちですが「家族じゃないほうが、お互いにやりやすい」ことって、結構あると思います。
これは、多くの人に知っておいてもらいたい。

本当に率直かつ身につまされる「体験記」だと思います。

家族だ、親だというけれど、実際はお互いに知らないことだらけですよね。

親の下着とか、排泄なんて、考えたこともない、考えたくもない、というのが、介護をはじめるまでの子供側の本音だと思いますよね。

なるべく自宅で介護するように、という方向に、日本は財政難から進みつつあります。
これだけ人が長生きするようになれば、人生の後半は親の介護をし、それが終われば、すぐに自分が介護される側になるのが「あたりまえ」になってくるのです。

いま、介護に悩んでいる人だけではなくて、現時点で、介護のことなんて考えなくて済んでいる若者にこそ、読んでみてもらいたい本です。

 

『母さん、ごめん。』50代独身男の壮絶な介護奮闘記」

内容紹介
ある日、母が認知症を発症した――。
息子(50代独身男)は戸惑い、狼狽する。

母と息子。
たった2人の奮闘記が始まる。
男一匹、ガチンコで認知症の母と向き合った。

本書を執筆したのは、科学ジャーナリストの松浦晋也さんです。

男性、50代。
実家に母と同居しながら、気ままな独身生活がこの先も続くと信じていました。

ところが、人生を謳歌していたはずの母親が認知症を患います。

母の様子がおかしいと気がついたのは、「預金通帳が見つからない」と言いだした時のこと。

誰だって、自分が確立した生活を崩したくないもの。
様子がおかしいと認めなければ、それは現実にはなりません。

そんな甘い意識から見逃した母の老いの兆候は、やがてとんでもない事態につながっていきます。

●「貯金通帳がない」

 2014年の夏、松浦氏は53歳独身で、80歳になる母親と実家で2人暮らしをしていた。松浦氏は仕事に熱中する生活を送っており、本人曰く「家庭も作らず好き勝手に生きてきた」そうだ。そんな松浦氏の母親も本書を読む限り、絵に描いた「元気ハツラツのご老人」という印象。なんだかんだ仲良くやっている親子関係が思い浮かぶ。

 このような状況から、松浦氏は「自分の親が認知症になる」という未来などつゆほどにも考えていなかった。ところがこの頃から母親に明らかな異変が訪れる。「貯金通帳がない」と言い出したのだ。それも数日おきに。さらに、年金が振り込まれる口座から、最新の支給分がまるまる引き出されていた。年金は2ヶ月分がまとめて振り込まれる仕組みなので、2ヶ月分の生活費を一気に引き出したも同然。明らかに異常事態だった。

●死ねばいいのに

松浦氏は病院に連れて行こうとしたが、母親はそれを激烈に拒否。
認知症患者は自分自身の異変に気づきつつも、それを受け入れることを拒否する傾向にある。
なので、病院へ検査に行くことはもちろん、認知症の薬を飲む、おむつをはく、デイサービスに行く、こういった対処を拒否してしまう。
そればかりか、献身的に尽くす「一番身近な介護人」さえも拒否し、辛く当たる傾向にある。
松浦氏は母親を病院へ連れ出すだけで一苦労だった。
その後、病状はどんどん進行。
朝言ったことを夜には忘れる。
時折、会話ができなくなる。
通信販売で商品を購入しまくる。

なにより辛いのは、どんなに介護に献身しても、母親に受け入れてもらえず口論になることだ。
料理ができなくなった母親のために食事を作っても「なにこれまずーい」と言われる。
通信販売をやめさせようとすると、「私は知らない。
そんなもの買ってない」と逆ギレ。
母親の代わりに掃除をすれば姑のような小言が漏れる。
認知症によって性格が変わり果てた母親が松浦氏の精神を削り始める。
お互いに怒鳴り合い、消耗する日々。

やがて失禁の症状が現れる。
口論で母親が大きな声を出した拍子にやってしまったり、行きつけの食堂で我慢できず失敗したり。
今までの介護作業に加え、失禁の処理と母親の下着の洗濯の作業が加わってしまったのだ。
日常が介護でどんどん圧迫。
どうにかケアマネージャーにおむつをはくよう説得してもらったと思ったら、今度は使用済みのおむつを家の勝手口に捨てるようになる始末。
対処が次の問題を呼ぶ悪循環だ。

あるとき、母親が肩を脱臼する怪我を負った。
しかし「ケガを負ったときの記憶がない」「自分の病状を正確に説明できない」ので、松浦氏に「肩が痛い」という訴えでしか表せなかった。
当然、松浦氏は脱臼に気づけない。
結果として、肩が痛すぎるため夜中にトイレへ行けず、翌朝松浦氏が排泄まみれになっている母親を発見することで事態を把握。
ありえない事態が平然と起こるのも介護の現実だ。

2016年秋頃、松浦氏は追い詰められ、とうとう言動に表れてしまう。
精神のバランスを失い、「死ねばいいのに」という独り言が出るようになった。
主語を言わないのがせめてもの救いか。
やがて母親をボコボコにする妄想を脳内で繰り広げてしまう。
ストレスで精神が軋んでいた。
そしてある日、松浦氏が帰宅すると、台所で冷凍食品をまき散らしながら食べる母親を見つける。
認知症の症状の1つ「異常食欲」だ。
この頃の松浦氏は、母親の異常食欲にも悩まされていた。
コップに並々とたまった水があふれ出るように、松浦氏の中で何かが弾けたのだろう。
ついに松浦氏は、母親に平手打ちをする。

●介護は絶対に1人ではできない

介護は兄弟、親戚、公的介護保険制度などに頼らなければ、どれほど頑張っても疲弊し、松浦氏のような事態に陥ってしまう。
親の異変にいち早く気づき、病院へ連れて行って診断してもらい、なるべく複数人で助け合いながら介護する態勢を作る必要がある。
そして、どこまで介護を頑張るかを決めておくべきだ。
病状が進行すると、親を施設に預ける決断をしないといけないのだが、介護施設が満床の場合も多々ある。
限界を決めることで、虐待などの対処、介護施設の申請がいち早くできるようになる。


この本を読むと、ニュースで流れる「介護殺人」「介護虐待」も違った視点で見えて来る気がしますね。
介護に献身し、精神の限界を迎えた人々が、衝動的にやってしまったものかもしれないと。
そしてそれは、未来の私たちの姿かもしれないと。

この記事を読んだ方に今すぐ行動してほしいことがあります。

すぐ、親に電話でもいいし、手紙でもいい、連絡を取り合って、できるだけ早く会うことを勧めます。
ここ数年ロクに親と会話していない人もいると思います。

親はいつまでも健康ではありません。

もしかしたら異変が起こっているかもしれないし、なにより親孝行をしてほしい。

親孝行をできなかったわたしがそう思っています。

認知症を発症すれば、どれだけ親孝行をしようが、それは記憶に残らないものとなります。
どれだけ介護に献身しても感謝の言葉をもらえないかもしれない。

まだ間にあいます。

今のうちに、後悔しないように親子の絆を強くしてほしいと思います。

「親孝行したかったら、認知症になる前にしてください。」

自分が親より長生きするのであれば、いつかは「その日」が来ます。

逆に、まだ健康で認知症を発症していない方は、子供や孫に声をかけてください。

自分の子供だと、孫だとわかっているうちに。

 

『「母親に、死んで欲しい」: 介護殺人・当事者たちの告白』のレビュー抜粋です。

自分には身内の介護なんて関係ないと考えていたけど自分の実家での立場。婚家での立場とか現在の家族の中での立場。
いろいろと身につまされた。
父親に認知症はなく介護は起こらなかった。父が亡くなる少し前から母の言動がおかしい?と思うようになり、父親の死でそれは確実なものになりました。
いろいろなところから綻んで見えてくる母親の言動のおかしさ。
医師の助言、役所の対応いろいろと手をつくし様子を見ていく。相談できる人は近くにいない。
叔父に相談しても「あんたも小さいとき世話になってるんだから、お返しだと考えて手をつくせ」
わかるけど相談してはいけないのだと思った。
日ごとに言動がおかしくなり認知症は確定した。本人に自覚なし。
うちの場合は「ご飯食べてない」というパターンではなく「お金を取っただろう」「隠しただろう」の方だった。
毎日夜中も早朝も関係なく攻める。汚くののしられて本当に疲弊した。
本に登場する方々の気持ちが本当によくわかった。
誰でも直面してそちらに引き込まれてしまうかもしれない恐怖。
本当に現実にこの日本に起きていることなのだ。
もっと良い方法がないかと祈るような気持ちでいる。

介護という問題、認知症という問題、だんだん身につまされていきますね。

いつもの何気ない普通の生活が、本当に幸せな事なのだとしみじみ思います。

長い文章で、内容も重たかったですね。最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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