新曲演歌紹介。京太郎さんの「忘れない」2017年11月15日発売

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今回の演歌好きの演歌新曲紹介は、2017年11月15日発売の京太郎さんの「忘れない」です。

あなたは大切な人の笑顔、覚えてますか? 山口県の大津島(おおづしま)が舞台の曲で、海の特攻と呼ばれた人間魚雷「回天(かいてん)」の基地があった島です。
当時、全国から大津島に召集され、国や家族を守る為にと亡くなられた方々。
現代において特攻となると、今や昔の他人事のようになってしまいましたが、皆さんの周りに、家族の為にと頑張っていた人、亡くなった人となると、いらっしゃるのではないでしょうか。
例えばお父さん、お母さん、おじいちゃん、家族の為にと頑張られていた方は、どんな笑顔をされていましたか? そんな大切な人の「笑顔を忘れない」。
この曲には、そんな思いが込められています。

京太郎さんは、八歳より花柳流の日本舞踏を習い独自の観点から創作舞踏を歌の世界に取り入れた「お七恋桜」は、各地のコンサートで大反響を受けています。
「聞いて楽しく見て楽しい演歌をめざす!」をモットーに、北は北海道札幌から、南は沖縄まで年間200本のコンサート、各地イベントに出演しています。

京太郎 「忘れない

 

※画像はAMAZONの画像を利用していますのでクリックするとAMAZONのページに行きますので行きたくない方はクリックしないようにしてください。
作品レビューとかもありますの購入予定の方とかカラオケを歌われる方は試聴がありますので参考になると思います。

京太郎 「忘れない

歌手 京太郎 PV(プロモーション映像)

京太郎PV(プロモーション映像)

山口県を中心に活動中の歌手「京太郎」さんのプロモーション映像です。「京太郎」といえば、女形での舞踊が取り上げられますが、本職は演歌の歌手。コンサートも大迫力なので、ひとりでも多くの方に一度ショーをご覧になっていただきたいです。

 

【収録曲】

1. 忘れない
2. 平和観音音頭
3. 忘れない (オリジナル・カラオケ)
4. 平和観音音頭 (オリジナル・カラオケ)

“歌” と“舞踊” のエンターテイナーとして精力的に全国で舞台を努め、奄美大島、山口県(出身地)での観光大使、ラジオ・TV出演等と幅広く活動を続けている、京太郎のシングル。

2017年11月15日発売

京太郎 「親父に誉めてもらいたくて」

京太郎「大きな笑顔」 」

京太郎「悠久の剣」

京太郎 – ホーム | Facebook

https://www.facebook.com/with.kyotaro/

京太郎 プロフィール

<プロフィール>引用

本名 岡本京太郎(おかもときょうたろう)
生年月日 昭和53年3月7日生れ
出身地 山口県岩国市(旧:玖珂郡由宇町)出身
身長 173cm
体重 ゴルフ・温泉めぐり
目標 ふるさとの香りのする舞台を目指す
経歴

昭和53年3月7日
山口県玖珂郡由宇町の由宇稲荷社の長男として誕生

昭和61年(8歳)
花柳流の日本舞踏を習い、女形を学ぶ。
初舞台での女形の舞が、観客より圧倒的な支持をうける。

平成3年(13歳)
TV番組「あんたが主役」で、二年連続グランプリを受賞する。
受賞後、「おもしろい子供がいる」と噂が噂を呼び、地元のカラオケ大会のゲストとしてよばれるようになる。
このころより、芸能の道に目覚め、世間で噂になったことから、父親が芸名を「噂の京太郎」と命名。

平成9年(19歳)
ポリドールレコードより歌手デビュー。

平成10年(20歳)
独自の観点から女形をとりいれ、男姿への早替わり等と踊りを織り交ぜたステージが大好評になる。
このころ、創作舞踏「お七恋桜」を発表。
年間約180本の着物ショーイベントでディナーショーを全国展開。
同年9月ニューヨークで行われた「第4回日本の祭典」に出演し、カーネギーホールの舞台に立つ。

平成16年(26歳)
ハワイホノルル公演開催。

平成17年(27歳)
全国で年間200本のイベントをこなす。

平成20年
2月にキングレコードに移籍し、日本の伝統美着物を唄った絹舞台シリーズ第1弾「一竹辻が花」「たずねて小樽」発売。

昭和53年3月7日岩国市生まれ。山口県岩国市(旧・玖珂郡由宇町)出身

8歳の時に花柳流の日本舞踊を習い女形を学び、初舞台での女形の舞が観客より圧倒的な支持を受ける。

平成3年、TV番組「あんたが主役」で二年連続二度グランプリを受賞。その後「おもしろい子供がいる」と噂が噂を呼び、地元カラオケ大会のゲストとして呼ばれるようになる。このころより芸能の道に目覚め、世間の噂となったことから、父親が芸名を「噂の京太郎」と命名。

平成9年、ポリドールレコードより歌手デビュー。
翌年、独自の観点から歌謡ショーに女形を取り入れ、男姿への早変りを見せるなど、歌と踊りを織り交ぜたステージが大好評となる。同年9月にニューヨークで行われた「第4回日本の祭典」に出演し、音楽の殿堂カーネギーホールの舞台に立つ。

平成16年、「ねんねんよ/万華鏡」でメジャーデビュー。

平成20年、広島東洋カープ2軍応援歌「若鯉跳ねろ~明日のヒーローたち」を発表。

平成24年、岩国市観光大使に就任。同年に開港した「岩国錦帯橋空港」をテーマとした「夢の翼」をリリース。

平成25年、ウィズプレミアムレコードを設立。決意も新たに芸名を「京太郎」に改名し、ミニアルバム「親父に誉めてもらいたくて」をリリース。翌年、徳間ジャパンコミュニケーションズより「悠久の剣」をリリース。

今年でデビュー20周年を迎え、全国各地でのコンサート・イベント出演のほか、ラジオやテレビ出演など精力的に活動を続ける。

人間魚雷「回天」大神訓練基地跡

http://hijinavi.com/watching/kaiten/より引用

かつて特攻兵器の訓練基地があった場所回天実物大模型

 人間魚雷「回天」は大東亜戦争(太平洋戦争)末期、日本の敗戦が濃くなる中、海軍によって考案され、昭和19年(1944)に山口県の大津島に最初に回天基地が設けられました。戦局の悪化とともに回天は決戦兵器としての役割が期待され、乗員の確保が急務となります。そのような状況下で、昭和20年(1945)に大神訓練基地が造られ、4月25日に「大神突撃隊」が開隊しました。

 大神基地で訓練された搭乗員や整備員は、8月3日に愛媛県西海町に第21突撃隊第11回天隊として配備されが、出撃することなく8月15日に終戦を迎え解隊しました。

 水雷壕、回天格納庫、実用頭部格納庫の横穴が残る小山には、回天神社があります。この神社は、当初大神突撃隊庁舎内に祀られていましたが、終戦後の昭和21年 (1946)に元隊員の懇願により住吉神社の境内に遷座されました。現在の神殿は平成13年(2001)に新築され、その横に回天の3分の1模型と海中より引き上げられた九三式魚雷後部が展示されています。

 回天神社には、全国の「回天」搭乗員や整備員など1073名もの戦没者が祀られており、開隊日の4月25日には毎年慰霊祭が行われています。

 平成26年には「回天実物大模型」が魚雷調整プール跡のそばに設置されました。翌年の平成27年4月には、実物大模型周辺が公園として整備され、「回天大神訓練基地記念公園」が竣工しました。記念公園は、駐車場・公衆トイレ・四阿(あずまや)などを備え、基地跡を見学される方の利便性に寄与しています。

 平成28年5月、平和への祈りを込めて「青年像及び母妹像」(町内在住の彫刻家・辻畑隆子氏の作)が記念公園内に建立されました。

人間魚雷「回天」145人が亡くなった、旧日本軍の特攻兵器

終戦までに訓練を受けた回天搭乗員は1375人にも及んだ。そのほとんどが兵学校・機関学校出身の若者、学徒や学生出身の予備学生、20歳に満たない予科練出身者たちだった。年齢も17歳から多くても28歳、大多数は20歳前後の若者であった。

回天による戦没者は、搭乗員、整備員他145名、没時の平均年齢は21.1歳である。


「二度とこんな不幸な戦争はあってはならない。」

この気持ちと、過去の悲惨な歴史は「忘れない」で次の世代に伝えていかないといけないですね。

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