演歌話題:本日誕生日の岩崎宏美さん「絆」

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本日、11月12日生まれの演歌歌手は岩崎宏美さんです。

おめでとうございます。

岩﨑宏美さんは、歌えば歌うほどどんどん上手くなっているような気がしませんか。
若い時に聞いた時よりも今のほうが遥かに歌唱力、表現力がありますね。そう感じるのは私だけでしょうか。ただただ聞き惚れるますね。

※画像はAMAZONの画像を利用していますのでクリックするとAMAZONのページに行きますので行きたくない方はクリックしないようにしてください。作品レビューとかもありますの購入予定の方とかカラオケを歌われる方は試聴がありますので参考になると思います。

岩崎宏美さんの「絆」について

岩崎宏美、命のバトンをつないでくれた息子への母親からの言葉…新曲「絆」2017年5月に発売

この「絆」は、幼い息子を残して逝ってしまった母親の気持ちを歌った楽曲。昨年末、岩崎の元に届いた1本のデモテープがきっかけだったという。なぜ今彼女は、この曲を選んだのか―― 岩崎宏美は語る。

「あまりにストレートな言葉で表現されていて、最初は戸惑いながら聴かせていただきました。でも、聴き続けるうちにその曲に込められた気持ちに胸が熱くなるのを感じ、また聴くたびに温かい気持ちになりました。

岩崎宏美「絆」

「親戚や他人の家を転々と 暮らす事を余儀なくされたあなたは 学校へも行けず食べたいものも 食べられず涙こらえて生きてきた 普通の家庭ってどんなのかと想像しては 切なさの裏返しからひねくれていた」という歌詞で、母親の息子に対する溢れんばかりの“愛情”はもちろん共感できますし、それと共に、そんな新しい未来への“希望”と“感謝”をこの曲に感じたからこそ、私はこの歌をぜひ歌いたいと思うようになったのです」

 同曲の詞/曲を手掛けたのはお笑いコンビ アップダウンのメンバーでもあり、音楽活動を行うなど、ミュージシャンの一面も持つ竹森巧。岩崎は届いたこの曲に触れて、歌い手としてぜひ歌ってみたいと感じたという。

岩崎宏美「すみれ色の涙」

岩崎宏美「シンデレラ・ハネムーン」

岩崎宏美「聖母たちのララバイ」

 

岩崎宏美「ロマンス」

岩崎宏美オフィシャルサイト

http://www.hiroring.com/

岩崎宏美 – ホーム | フェイスブック – Facebook

https://ja-jp.facebook.com/fansitehiromi/

岩崎宏美さんプロフィール

芸名 岩崎宏美
芸名フリガナ いわさき ひろみ
性別 女性
生年月日 1958/11/12
星座 さそり座
干支 戌年
血液型 B
出身地 東京都
URL http://www.hiroring.com/
デビュー年 1975
プロフィール 東京都出身。

1975年“天まで響け 岩崎宏美”をキャッチフレーズに『二重唱(デュエット)』でデビュー。

当時から抜群の歌唱力には定評があり、『ロマンス』や『思秋期』では数々の賞を受賞。

1982年には『聖母たちのララバイ』が130万枚の売り上げを記録するなど、歌手として着実な実績を上げていく。

その一方でミュージカルやドラマなどでも多彩な才能を発揮。

『レ・ミゼラブル』のファンティーヌ役は、1987年の初演メンバーとして出演。

この役との出会いは、歌手人生において大きな影響を与える。

2010年、デビュー35周年を迎え、その記念に発売されたカバーアルバム集『Dear Friends BOX』が、第52回日本レコード大賞・企画賞を受賞。

2012年には、念願であったさだまさしによる書下ろしシングル『あなたへ~いつまでも いつでも~』を発売。

2013年6月4年ぶりのオリジナルアルバム『Love』を発売。

2013年10月、揖保の糸のCMソングとして使用されている「時の針』がアルバムからのシングルカットとして発売。

2014年にはデビュー39周年として、稀代のポップ・メロディーメーカー斎藤誠プロデュースによる通算66枚目の新曲『Thank You!』を5月に発売。

8月には、カバーアルバム第7弾『Dear Friends Ⅶ 阿久悠トリビュート』を発売。

今年40周年を迎え、更に精力的に活動中。

デビュー作 シングル『二重唱(デュエット)』
代表作品1 シングル『ロマンス』
代表作品2 シングル『思秋期』
代表作品3 シングル『シンデレラ・ハネムーン』
職種 音楽
http://www.weblio.jp/cat/people/tltdbより引用

岩崎宏美と父の骨肉裁判 背景に娘の結婚や歌手活動への反対も

2009年4月にミュージカル俳優・今拓哉(43)と再婚した岩崎宏美(53)に次いで、昨年11月には大学病院の勤務医(53)と結婚した妹・良美(50)。岩崎家はさぞ幸せな新年を迎えたと思いきや一昨年9月、父が娘である宏美ら家族を訴え、係争中だという。

1958年、東京の下町で材木機械の輸入販売会社を経営する父の下、3人姉妹の次女として生まれた宏美。小学校入学から歌のレッスンを受け始め、オーディション番組に出演したのをきっかけに、16才で歌手デビューした。2年後の1978年10月には父が「有限会社スリージー」(当時)を設立し、宏美のマネジメントをすることになった。

デビュー時から宏美のステージパパだった父親だが、妹・良美には厳しかった。

「宏美さんに憧れて歌手になりたいと、良美さんは家族に懇願したんですが、お父さんが“宏美の邪魔になる”と猛反対したんです」(音楽関係者)

そのことを知った宏美が父を説得。「歌手以外なら」との条件付きで、良美はテレビドラマ『江戸の鷹』で女優デビューすることとなった。2年後には念願の歌手デビューの夢も叶えた。

ヒット曲を連発した姉妹だが、その一方で父は先代から続いていた材木機械の会社の経営がうまくいかなくなり、1985年、とうとう会社を手放すこととなった。マネジメント業に専念するつもりだったが、良美は同年リリースした『タッチ』を機に歌手業を休止。一家の稼ぎ手は宏美だけとなった。そのためか、宏美が結婚しようとするたびに、「歌がうたえなくなるから」と口をはさんできたという。

1988年、俳優の内田直哉(58)と結婚目前も破局。しかし、「30才までの結婚」を夢みていた宏美は、1989年商社マンと結婚。最後まで反対していた父も結婚式には駆けつけた。だが、結婚生活は長くは続かず、1995年に離婚した。

「宏美さんが結婚し、仕事が激減してしまったことで、『スリージー』はもう後がない状況でした。そこで、お父さんは宏美さんの旦那さんがドイツに転勤になった際に、黙って宏美さんの仕事を受けたんです。

旦那さんは宏美さんと“結婚したら仕事は控える”と約束していたので激怒したんです。でも宏美さんは、家族のこともあったし、結婚前のように自由に歌いたいという思いを募らせていたので、離婚して実家に戻り、父についていくことを決めたんです」(前出・音楽関係者)

当初は、2人の子供の親権は前夫、養育権は宏美が持っていたが、前夫の再婚を機に養育権も失ってしまった。家族を選んだ上のやむを得ない選択だったが、そんな思いもむなしく仲良し一家は崩壊してしまう。

「お父さんは、愛人関係にあった女性と結婚するため、2002年5月にお母さんと離婚してしまったんです。お母さんは良美さんと一緒に家を出て行ってしまったので、宏美さんは老いたお父さんのことを思って実家に残ることにしたんです。複雑な思いもあったでしょうが、やっぱり実の父親ですからね」(岩崎家の知人)

2003年に再婚した父は、年齢のこともあり、会社の代表を宏美に譲ることを決めた。

会えなくなってしまった最愛の子供、両親の離婚、会社の経営…、当時さまざまな悩みにくれていた宏美を支えたのは、舞台『レ・ミゼラブル』で共演し、2001年から交際していた今だった。

「お父さんは、今さんに婿養子にはいってほしかったんです。岩崎家には娘しかいないからなんです。でも、これには今さんは首を縦に振らなかった」(今の知人)

今が婿養子を拒むと、父は一転して、結婚に猛反対するようになったという。しかしさすがの宏美も、この時は父ではなく今を選んだ。2009年4月、宏美は実家を離れ、今と再婚することに。そしてこれを機に、宏美は父と決別をすることになる。

「2009年12月に、『有限会社スリージー』から『株式会社スリージー』に社名を変えて、お父さんを会社の役員からはずしたんです。そして、今さんがマネジメント会社を作り、宏美さんをそっちに移籍させました。これまで『スリージー』から父に支払われていた金額は役員報酬や会社がはいっているビルの賃料など月々およそ80万円ほど。会社の形態が変わり、これがほとんど支払われなくなってしまったんです」(前出・岩崎家の知人)

冒頭の裁判で争われているのは、この際の父の役員辞任が正当なものだったかどうか。事前に承諾はなかったという父に対し、宏美側は承諾があったと主張している。

※女性セブン2012年2月2日号より引用

幸せとか、不幸せというのは他人はわからないものです。幸せをはかるものはないででしょうからね。あるとすれば笑顔の数でしょうかね。今日も笑顔で生きていきましょう。

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