演歌話題:阿久悠さんの「津軽海峡・冬景色」と上野駅の話題

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今回の話題は、「北の玄関」上野駅は30年でこんなに変わったという話題と阿久悠さんの津軽海峡・冬景色の話題です。

最近は、阿久悠さんの没後10年、作詞家50年、生誕80年のトリプルメモリアルイヤーを迎え、生涯5000曲以上の作詞を手がけ、シングル総売上枚数6800万枚、日本レコード大賞を5度受賞という超人的な活躍を遂げた阿久悠さんの作詞の中でもこの「津軽海峡・冬景色」は特別な曲だと思います。

夜行列車が新幹線に代わりましたね。
青函連絡船も今はもうありませんよね。
それでも古びないこの歌を聴けば、昭和の北国の雪景色と凛とした女性の姿が目に浮かんできますね。

そんな中、「上野駅」と「津軽海峡・冬景色」に関する記事がありましたので紹介します。

「北の玄関」上野駅は30年でこんなに変わった

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171105-00195331-toyo-bus_all&p=1より引用

上野駅15番ホームの入り口には「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく」の石川啄木が詠んだ短歌のモニュメントがある。

 「東北の玄関口」と長い間言われ続けてきた上野駅。
この駅は故郷から上京してきた人たちにとって思い出多き駅である。
とりわけ東北、北陸方面から夜行列車で到着した時の感慨はひとしおであり、薄暗い行き止まり式ホームを重い荷物を手に歩いた日は決して忘れることができないことであろう。

■列車に残った雪に涙…

 その昔、上野駅には東北方面からやってくる「集団就職列車」発着の専用ホームが設けられていた。
今は廃止された18番ホームがそうであった。

 かつて夜行列車の取材で上野近辺の駅前旅館に泊まり込んだ時、駅前の大衆酒場で「古い電気機関車に牽(ひ)かれた普通列車や急行列車は、冬になると客車の車輪や車体に雪をつけてホームに入ってきた。
その雪をそっとなでたら涙が止まらなかった……」と夢半ばにして集団就職の職場から離れた初老の男性から聞いたことがある。

 昭和30年代、高度成長期のさなかに「金の卵」と言われた、中学・高校を卒業したばかりの少年少女が集団就職列車に乗って上野駅に到着したときの思いは、同世代の筆者には大いに共感することができる。

 その集団就職列車の少年の心情を唄ったのが「ああ上野駅」(作詞:関口義明、作曲:荒井英一、歌:井沢八郎)で「どこかに故郷の香をのせて……」は今も懐メロ演歌として歌い継がれ、その歌碑は駅の不忍口のガード下に残っているが、足を止める人は少ない。

 時代とともに18番ホームは常磐線へのホームへと変わり、寝台特急「ゆうづる」がここから発車していった。
そして、今はそのホームも「ゆうづる」も消えてしまった。

 北の玄関口、上野駅の現駅舎は関東大震災で焼失した初代駅に継いで1932(昭和7)年に建てられた2代目駅舎で、正面入り口には車寄せとホールがあり、それを囲むように回廊が設けられた昭和初期の「大時代的」建築様式を誇っている。
1934(昭和9)年建築の小樽駅や、1937(昭和12)年に完成した大連駅(中国)も、上野駅を参考にして建てられた。

上野駅は東京のターミナル駅には珍しく、1階にあたる地平ホームは欧米のターミナル駅と同様、いわゆる「くし形」の行き止まりホームとなっている。
国鉄時代にはこれらのホームから、特急「ひばり」「やまびこ」や、寝台列車「北陸」「ゆうづる」など、東北・北陸方面への長距離列車が主に発着し、2階部分のホームからは主に高崎、上越、常磐線への中・長距離列車が旅立って行った。

 当時、上野駅を通り抜けるのは山手線、京浜東北線など一部で、ほとんどが上野始発の列車だった。

■「終着駅」から通過駅へ

 この「終着駅」上野の様相が変化し始めたのは、1982(昭和57)年の東北新幹線開業時であろう。
当初は新幹線が大宮までの暫定開業で、上野―大宮間には新幹線利用者を運ぶための「新幹線リレー号」が連絡シャトル列車として運行していたが、1985(昭和60)年3月14日に新幹線の大宮―上野間が延伸開業した。

 東北・上越新幹線の開業により、東北地方や新潟方面に向かう上野始発の特急「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「とき」などが姿を消し、一部の列車は新幹線の愛称名として引き継がれることになった。
ちなみに在来線特急「やまびこ」は上野―盛岡間を7時間5分で結んでいたが、その愛称を引き継いだ東北新幹線「やまびこ」は、開業当初から最速2時間45分で両駅間を結び、大幅なスピードアップとなった。

 だが、在来線の長距離特急・急行が多く廃止されたのは、上野駅の衰退の始まりでもあったように思う。
新幹線の終着駅として「北の玄関口」としての体面は保ち続けたものの、1991(平成3)年に新幹線の上野―東京間が延伸開業すると、東北・上越新幹線の列車の多くが東京始発・終着になり、上野駅はほぼ全列車停車するものの、終着駅ではなく列車が通り抜ける「通過駅」になった。

 上野駅がかつての「終着駅」から通過駅へと変貌するうえで、さらに決定的な出来事となったのが2015(平成27)年3月14日の「上野東京ライン」開業である。
上野―東京間にバイパス新線を敷くことによって、東北本線・高崎線、常磐線と東海道本線の相互直通運転を実現し、これまで日暮里や上野乗り換えで東京・品川方面へ向かっていた通勤・通学客には飛躍的な利便性をもたらした。

従来は全列車が上野駅発着だった、常磐線のフラッグシップである「スーパーひたち」などの特急は「ひたち」「ときわ」に愛称を改め、日中のほとんどの列車が品川始発になり、上野駅を経由して常磐線に向かっている。

 今年10月14日に行われたダイヤ改正では「上野東京ライン」の常磐線直通列車が増発され、上野駅止まりの列車はさらに少なくなった。
特急も、終日30分間隔で品川発着の列車が運行されるようになった。

■13番ホームに見たかつての面影

 しかし、乗り入れによる利便性向上にはリスクも付きまとう。
東海道本線で事故や大雨、強風によるトラブルが発生すると、直通する高崎線や宇都宮線にも影響が及び、全線でダイヤが乱れることになる。
冬季の関東平野では、強風のため列車の運休や遅延も多く発生し、ダイヤの乱れはほぼ全線にわたって影響してくる。

 先日、久しぶりに上野駅の地上ホームを訪れた。
ここが北の玄関口だったか……と思うほど、日中は閑散としていて、上野駅になじみ取材を数多く続けてきた筆者には特に感慨深いものがあった。
特に「北斗星」「あけぼの」を最後に上野発着の夜行列車が全廃されたことには寂しさもひとしおで、思わず「上野発の夜行列車……」と口ずさんでしまったほどである。

 そんな気持ちの中、13番ホームには豪華列車「TRAIN SUITE四季島」がその姿を横たえていて、少しは往年の上野駅の雰囲気を醸し出していた。
このホームはかつて、青森方面へと向かう急行「津軽」「八甲田」、特急「あけぼの」などの名列車が発着した夜行列車の定番ホームだったのだ。

石川さゆりさん「津軽海峡・冬景色」

「津軽海峡・冬景色」

上野発の夜行列車おりた時から 青森駅は雪の中~。演歌になじみのない若者でも、この歌詞とメロディーを知る人は多い。

 1977年1月。「津軽海峡・冬景色」は、アルバム「365日恋もよう」(76年)からシングルカットで発売された。

 「12か月を12曲で歌うアルバムで、12月の歌が『津軽―』。大阪のライブで歌ったら、ファンの方々が電話や手紙で『絶対、シングルにして!』と要望をくださった。ファンの声で生まれたシングルなんです」

 15歳でアイドル歌手としてデビュー。山口百恵さん(58)、森昌子(58)、桜田淳子(58)ら「花の中3トリオ」の影に隠れ、ヒット曲に恵まれなかった。

 「白い帽子をかぶって爽やかに歌ってたけど、アイドルではパッとしなかったんです。作家先生や会社の方々が『石川の大ヒットにつながる歌を』と、デビュー5年目に15枚目で出したのが「津軽海峡・冬景色」でした」

 三木氏による哀愁漂う、キャッチーなメロディーに心を揺さぶられた。

 「最初は三木先生がラララで歌うデモテープを聴いて、重たい鉛色の空が広がるような暗い歌だな、(仏歌手の)ダミアの『暗い日曜日』みたいと思ったの。でも、三木先生がアレンジした前奏の『ジャジャジャジャ~ン』を聴いた瞬間、18歳ながら『何だこの歌は!』と今まで受けたことがない衝撃が走りましたね」

 阿久氏が作詞した冬の北国の寒々しい情景、恋に破れた女性の心情を歌った。

 「阿久先生が『上野発の夜行列車を降りたら青森なんだ。すぐ時空が飛んで画期的でしょ』と。歌は場所も時間も1行で変えられるんだと驚きました。キャンペーンで青森駅に行った時、歌詞は『北へ帰る人の群れは誰も無口で』とだけど、みんなペラペラと話しながら歩いてて。歌と全然違うなと思いましたね(笑い)」

 歌い続けて40年。ラスト手前の歌詞『あぁぁぁ~』に込める思い入れは深い。

 「あの『あぁぁぁ~』という歌詞は、女の人はこんな嘆きや悲しみをするのかなと想像しながら、何か自分の中で大きな発見をするような声を出したいと思って、あのファルセットを作りました。あの一言にすべての感情が詰まってるんです」

 77年。ピンク・レディーがヒットチャートを席巻する中、「津軽―」は大ヒット。NHK紅白歌合戦への初切符をつかんだ。

 「キラキラ輝く舞台で、緊張せずに思い切り歌えました。当時は、お相撲さんが土俵入りしてるのかと思うくらい、ドレスを着てるのに足を踏ん張ったり、蹴飛ばしたりしながら一生懸命歌ってて。歌に対するしがみつき方が本当にかわいくて、いとおしく思います」

『津軽海峡・冬景色』は昭和52年1月1日リリース。
昭和63年の青函トンネル開通までは、青森と函館を結ぶ青函連絡船が運航されていました。

上野駅から夜行列車に乗車し、青森駅で下車。そして徒歩で青函連絡船に乗り換え(当時、「八甲田」、「十和田」、「津軽」、「ゆうづる」、「はくつる」、「あけぼの」という夜行列車がありました)。
船の中から竜飛岬を眺めるというシーンが印象的な歌詞で、大ヒット。

第19回日本レコード大賞・歌唱賞、第6回FNS歌謡祭グランプリ・最優秀歌唱賞などの音楽賞を受賞し、歌手・石川さゆりも『津軽海峡・冬景色』で『NHK紅白歌合戦』を果たしています。

その後も、紅白でたびたびこの歌を歌っており、石川さゆりの『天城越え』とともに『NHK紅白歌合戦』の紅組のトリの曲としてもよく知られています。


わたしも30年前はよく上野駅に行ってましたね。

アメ横行って御徒町行って、上野公園に行って、美術館を巡ってと懐かしい思い出がたくさんあります。
田舎者なので、上野駅にくると何か落ち着く感じがしていましたね。
泊まるホテルも上野駅の近くだったり、浅草だったりしていました。

最近行ってないのでどうなってるのでしょうね。記事にあるようにずいぶん変わったのでしょうね。

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