演歌以外:ちょっと感動する話「一杯のかけそば」

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今日のお話は、12月になりましたので「一杯のかけそば」というお話です。
このお話は、有名なお話ですが、最近はほとんど聞かなくなりましたね。

小説でも感動するストーリーなら涙を流すことがあります。
楽しいシーンなら笑えるし、悲しい別れのシーンならしんみりします。
映画を見た感動の涙には「その話が嘘なのか本当なのか」なんてほんとうは関係はないんですよね。
でも実話と言っていたものが嘘だとわかると人間ってものすごく怒りモードに変わるんですよね。不思議ですよね。

創作童話として「人情味のあふれる話」だったのなら今でも読まれていたかもしれませんね。ストーリーもいいし、日本人の心を揺さぶる要素もたくさんありましたからね。

「一杯のかけそば」あらすじ

札幌にあった一軒の蕎麦屋「北海亭」。大晦日に訪れるお母さんと子供が二人。貧しい家なのか一杯のかけそばを三人でおいしそうに味わい、にこやかに過ごすひとときをやさしく見守る蕎麦屋のおかみさんと、こっそり半玉をサービスする店主。

数年間は大晦日のたびに美味しそうに一杯、子供の成長とともに二杯のそばを分けて食べる姿をみかけるもやがて来なくなってしまいます。それでも毎年大晦日にはその家族のため予約席を用意して待ち続ける蕎麦屋のおかみさんと店主。

そしていよいよ忘れそうになったある年の大晦日、ふらりとやってきたその客は・・・すっかり成長した子供とその母親でした。

実は滋賀県に家族が引っ越ししていたこと、あの頃の男の子二人は長男が医師に、弟は銀行員として働いていること。長男が北海道で医師として働くことになり、父の墓参りも兼ねて母と3人で最高の贅沢、北海亭の年越しそばを食べようと蕎麦屋に来たのでした。

「よう、お二人さん!何をもたもたしているんだよ。
十年間、大晦日の十時に来る予約席のお客を待っていたんだろ。ついに来たんだよ。
お客さんをテーブルに通しなよ!」
女将は、八百屋のおやじさんの肩を叩くと、気を落ち着けて、大きな声で言いました。
「いらっしゃいませ!お待ちしておりました。
こちらへどうぞ。二番テーブル、かけ三丁!」
「あいよ、かけ三丁!」
店主は、いつもの無愛想な顔を涙で濡らして答えました。

時間があられる方は、全文が下記にありますので読んで見てください。

一杯のかけそば

この物語は、今から35年ほど前の12月31日、

札幌の街にあるそば屋「北海亭」での出来事から始まる。

そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。

北海亭もこの日ばかりは朝からてんてこ舞の忙しさだった。

いつもは夜の12時過ぎまで賑やかな表通りだが、

夕方になるにつれ家路につく人々の足も速くなる。

10時を回ると北海亭の客足もぱったりと止まる。

頃合いを見計らって、人はいいのだが無愛想な主人に代わって、

常連客から女将さんと呼ばれているその妻は、

忙しかった1日をねぎらう、大入り袋と土産のそばを持たせて、

パートタイムの従業員を帰した。

最後の客が店を出たところで、そろそろ表の暖簾を下げようかと

話をしていた時、入口の戸がガラガラガラと力無く開いて、

2人の子どもを連れた女性が入ってきた。

6歳と10歳くらいの男の子は真新しい揃いのトレーニングウェア姿で、

女性は季節はずれのチェックの半コートを着ていた。

「いらっしゃいませ!」

と迎える女将に、その女性はおずおずと言った。

「あのー……かけそば……1人前なのですが……よろしいでしょうか」

後ろでは、2人の子ども達が心配顔で見上げている。

「えっ……えぇどうぞ。どうぞこちらへ」

暖房に近い2番テーブルへ案内しながら、

カウンターの奥に向かって、

「かけ1丁!」

と声をかける。

それを受けた主人は、チラリと3人連れに目をやりながら、

「あいよっ! かけ1丁!」

とこたえ、玉そば1個と、さらに半個を加えてゆでる。

玉そば1個で1人前の量である。

客と妻に悟られぬサービスで、大盛りの分量のそばがゆであがる。

テーブルに出された1杯のかけそばを囲んで、

額を寄せあって食べている3人の話し声が

カウンターの中までかすかに届く。

「おいしいね」

 と兄。

「お母さんもお食べよ」

と1本のそばをつまんで母親の口に持っていく弟。

やがて食べ終え、150円の代金を支払い、

「ごちそうさまでした」

と頭を下げて出ていく母子3人に、

「ありがとうございました! どうかよいお年を!」

と声を合わせる主人と女将。

新しい年を迎えた北海亭は、

相変わらずの忙しい毎日の中で1年が過ぎ、

再び12月31日がやってきた。

前年以上の猫の手も借りたいような1日が終わり、

10時を過ぎたところで、店を閉めようとしたとき、

ガラガラガラと戸が開いて、

2人の男の子を連れた女性が入ってきた。

女将は女性の着ているチェックの半コートを見て、

1年前の大晦日、最後の客を思いだした。

「あのー……かけそば……1人前なのですが……よろしいでしょうか」

「どうぞどうぞ。こちらへ」

女将は、昨年と同じ2番テーブルへ案内しながら、

「かけ1丁!」

 と大きな声をかける。

「あいよっ! かけ1丁」

と主人はこたえながら、

消したばかりのコンロに火を入れる。

「ねえお前さん、サービスということで3人前、出して上げようよ」

そっと耳打ちする女将に、

「だめだだめだ、そんな事したら、かえって気をつかうべ」

と言いながら玉そば1つ半をゆで上げる夫を見て、

「お前さん、仏頂面してるけどいいとこあるねえ」

とほほ笑む妻に対し、

相変わらずだまって盛りつけをする主人である。

テーブルの上の、1杯のそばを囲んだ母子3人の会話が、

カウンターの中と外の2人に聞こえる。

「……おいしいね……」

「今年も北海亭のおそば食べれたね」

「来年も食べれるといいね……」

食べ終えて、150円を支払い、

出ていく3人の後ろ姿に

「ありがとうございました! どうかよいお年を!」

その日、何十回とくり返した言葉で送り出した。

商売繁盛のうちに迎えたその翌年の大晦日の夜、

北海亭の主人と女将は、たがいに口にこそ出さないが、

九時半を過ぎた頃より、そわそわと落ち着かない。

10時を回ったところで従業員を帰した主人は、

壁に下げてあるメニュー札を次々と裏返した。

今年の夏に値上げして「かけそば200円」と書かれていたメニュー札が、

150円に早変わりしていた。

2番テーブルの上には、

すでに30分も前から「予約席」の札が女将の手で置かれていた。

10時半になって、店内の客足がとぎれるのを待っていたかのように、

母と子の3人連れが入ってきた。

兄は中学生の制服、弟は去年兄が着ていた大きめのジャンパーを着ていた。

2人とも見違えるほどに成長していたが、

母親は色あせたあのチェックの半コート姿のままだった。

「いらっしゃいませ!」

と笑顔で迎える女将に、母親はおずおずと言う。

「あのー……かけそば……2人前なのですが……よろしいでしょうか」

「えっ……どうぞどうぞ。さぁこちらへ」

と2番テーブルへ案内しながら、

そこにあった「予約席」の札を何気なく隠し、

カウンターに向かって

「かけ2丁!」

 それを受けて

「あいよっ! かけ2丁!」

とこたえた主人は、玉そば3個を湯の中にほうり込んだ。

2杯のかけそばを互いに食べあう母子3人の明るい笑い声が聞こえ、

話も弾んでいるのがわかる。

カウンターの中で思わず目と目を見交わしてほほ笑む女将と、

例の仏頂面のまま「うん、うん」とうなずく主人である。

「お兄ちゃん、淳ちゃん……
      今日は2人に、お母さんからお礼が言いたいの」

「……お礼って……どうしたの」

「実はね、死んだお父さんが起こした事故で、
8人もの人にけがをさせ迷惑をかけてしまったんだけど
……保険などでも支払いできなかった分を、毎月5万円ずつ払い続けていたの」

「うん、知っていたよ」

女将と主人は身動きしないで、じっと聞いている。

「支払いは年明けの3月までになっていたけど、
実は今日、ぜんぶ支払いを済ますことができたの」

「えっ! ほんとう、お母さん!」

「ええ、ほんとうよ。
お兄ちゃんは新聞配達をしてがんばってくれてるし、
淳ちゃんがお買い物や夕飯のしたくを毎日してくれたおかげで、
お母さん安心して働くことができたの。
よくがんばったからって、会社から特別手当をいただいたの。
それで支払いをぜんぶ終わらすことができたの」

「お母さん! お兄ちゃん! よかったね! 
でも、これからも、夕飯のしたくはボクがするよ」

「ボクも新聞配達、続けるよ。淳! がんばろうな!」

「ありがとう。ほんとうにありがとう」

「今だから言えるけど、淳とボク、お母さんに内緒にしていた事があるんだ。
それはね……11月の日曜日、淳の授業参観の案内が、学校からあったでしょう。
……あのとき、淳はもう1通、先生からの手紙をあずかってきてたんだ。
淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて、
全国コンクールに出品されることになったので、
参観日に、その作文を淳に読んでもらうって。
先生からの手紙をお母さんに見せれば
……むりして会社を休むのわかるから、淳、それを隠したんだ。
そのこと淳の友だちから聞いたものだから……ボクが参観日に行ったんだ」

「そう……そうだったの……それで」

「先生が、あなたは将来どんな人になりたいですか、という題で、
全員に作文を書いてもらいましたところ、
淳くんは、『一杯のかけそば』という題で書いてくれました。
これからその作文を読んでもらいますって。
『一杯のかけそば』って聞いただけで北海亭でのことだとわかったから
……淳のヤツなんでそんな恥ずかしいことを書くんだ! 
と心の中で思ったんだ。

作文はね……お父さんが、交通事故で死んでしまい、
たくさんの借金が残ったこと、
お母さんが、朝早くから夜遅くまで働いていること、
ボクが朝刊夕刊の配達に行っていることなど……ぜんぶ読みあげたんだ。

そして12月31日の夜、3人で食べた1杯のかけそばが、とてもおしかったこと。
……3人でたった1杯しか頼まないのに、
おそば屋のおじさんとおばさんは、ありがとうございました! どうかよいお年を!
って大きな声をかけてくれたこと。
その声は……負けるなよ! 頑張れよ! 生きるんだよ! 
って言ってるような気がしたって。

それで淳は、大人になったら、
お客さんに、頑張ってね! 幸せにね! って思いを込めて、ありがとうございました! 
と言える日本一の、おそば屋さんになります。
って大きな声で読みあげたんだよ」

カウンターの中で、聞き耳を立てていたはずの主人と女将の姿が見えない。

カウンターの奥にしゃがみ込んだ2人は、

1本のタオルの端を互いに引っ張り合うようにつかんで、

こらえきれず溢れ出る涙を拭っていた。

「作文を読み終わったとき、先生が、淳くんのお兄さんが
お母さんにかわって来てくださってますので、
ここで挨拶をしていただきましょうって……」

「まぁ、それで、お兄ちゃんどうしたの」

「突然言われたので、初めは言葉が出なかったけど
……皆さん、いつも淳と仲よくしてくれてありがとう。
……弟は、毎日夕飯のしたくをしています。
それでクラブ活動の途中で帰るので、
迷惑をかけていると思います。
今、弟が『一杯のかけそば』と読み始めたとき
……ぼくは恥ずかしいと思いました。
……でも、胸を張って大きな声で読みあげている弟を見ているうちに、
1杯のかけそばを恥ずかしいと思う、
その心のほうが恥ずかしいことだと思いました。

あの時……1杯のかけそばを頼んでくれた母の勇気を、
忘れてはいけないと思います。
……兄弟、力を合わせ、母を守っていきます。
……これからも淳と仲よくして下さい、って言ったんだ」

しんみりと、互いに手を握ったり、

笑い転げるようにして肩を叩きあったり、

昨年までとは、打って変わった

楽しげな年越しそばを食べ終え、300円を支払い

「ごちそうさまでした」

と、深々と頭を下げて出て行く3人を、

主人と女将は1年を締めくくる大きな声で、

「ありがとうございました! どうかよいお年を!」

と送り出した。

また1年が過ぎて――。

北海亭では、夜の9時過ぎから「予約席」の札を

2番テーブルの上に置いて待ちに待ったが、

あの母子3人は現れなかった。

次の年も、さらに次の年も、

2番テーブルを空けて待ったが、3人は現れなかった。

北海亭は商売繁盛のなかで、店内改装をすることになり、

テーブルや椅子も新しくしたが、

あの2番テーブルだけはそのまま残した。

真新しいテーブルが並ぶなかで、

1脚だけ古いテーブルが中央に置かれている。

「どうしてこれがここに」

と不思議がる客に、

主人と女将は『一杯のかけそば』のことを話し、

このテーブルを見ては自分たちの励みにしている、

いつの日か、あの3人のお客さんが、

来てくださるかも知れない、

その時、このテーブルで迎えたい、と説明していた。

その話が「幸せのテーブル」として、客から客へと伝わった。

わざわざ遠くから訪ねてきて、そばを食べていく女学生がいたり、

そのテーブルが、空くのを待って注文をする若いカップルがいたりで、

なかなかの人気を呼んでいた。

それから更に、数年の歳月が流れた12月31日の夜のことである。

北海亭には同じ町内の商店会のメンバーで

家族同然のつきあいをしている仲間達が

それぞれの店じまいを終え集まってきていた。

北海亭で年越しそばを食べた後、

除夜の鐘の音を聞きながら仲間とその家族がそろって

近くの神社へ初詣に行くのが5~6年前からの恒例となっていた。

この夜も9時半過ぎに、魚屋の夫婦が刺身を

盛り合わせた大皿を両手に持って入って来たのが

合図だったかのように、いつもの仲間30人余りが

酒や肴を手に次々と北海亭に集まってきた。

「幸せの2番テーブル」の物語の由来を知っている仲間達のこと、

互いに口にこそ出さないが、

おそらく今年も空いたまま新年を迎えるであろう

「大晦日10時過ぎの予約席」をそっとしたまま、

窮屈な小上がりの席を全員が少しずつ身体を

ずらせて遅れてきた仲間を招き入れていた。

海水浴のエピソード、孫が生まれた話、大売り出しの話。

賑やかさが頂点に達した10時過ぎ、

入口の戸がガラガラガラと開いた。

幾人かの視線が入口に向けられ、全員が押し黙る。

北海亭の主人と女将以外は誰も会ったことのない、

あの「幸せの2番テーブル」の物語に出てくる薄

手のチェックの半コートを着た若い母親と

幼い二人の男の子を誰しもが想像するが、

入ってきたのはスーツを着てオーバーを手にした二人の青年だった。

ホッとした溜め息が漏れ、賑やかさが戻る。

女将が申し訳なさそうな顔で

「あいにく、満席なものですから」

断ろうとしたその時、和服姿の婦人が深々と頭を下げ入ってきて

二人の青年の間に立った。

店内にいる全ての者が息を呑んで聞き耳を立てる。

「あのー……かけそば……3人前なのですが……よろしいでしょうか」

その声を聞いて女将の顔色が変わる。

十数年の歳月を瞬時に押しのけ、

あの日の若い母親と幼い二人の姿が目の前の3人と重なる。

カウンターの中から目を見開いてにらみ付けている主人と

今入ってきた3人の客とを交互に指さしながら

「あの……あの……、おまえさん」

と、おろおろしている女将に青年の一人が言った。

「私達は14年前の大晦日の夜、
親子3人で1人前のかけそばを注文した者です。
あの時、一杯のかけそばに励まされ、
3人手を取り合って生き抜くことが出来ました。
その後、母の実家があります滋賀県へ越しました。
私は今年、医師の国家試験に合格しまして
京都の大学病院に小児科医の卵として勤めておりますが、
年明け4月より札幌の総合病院で勤務することになりました。
その病院への挨拶と父のお墓への報告を兼ね、
おそば屋さんにはなりませんでしたが、
京都の銀行に勤める弟と相談をしまして、
今までの人生の中で最高の贅沢を計画しました。
それは大晦日に母と3人で札幌の北海亭さんを訪ね、
3人前のかけそばを頼むことでした」

うなずきながら聞いていた女将と主人の目からどっと涙があふれ出る。

入口に近いテーブルに陣取っていた八百屋の大将が

そばを口に含んだまま聞いていたが、

そのままゴクッと飲み込んで立ち上がり

「おいおい、女将さん。何してんだよお。
10年間この日のために用意して待ちに待った
『大晦日10時過ぎの予約席』じゃないか。ご案内だよ。ご案内」

八百屋に肩をぽんと叩かれ、気を取り直した女将は

「ようこそ、さあどうぞ。 おまえさん、2番テーブルかけ3丁!」

仏頂面を涙でぬらした主人、

「あいよっ! かけ3丁!」

期せずして上がる歓声と拍手の店の外では、

先程までちらついていた雪もやみ、

新雪にはね返った窓明かりが照らしだす

『北海亭』と書かれた暖簾を、ほんの一足早く吹く睦月の風が揺らしていた。

おしまい。


昭和最後の年越しとなった1988年末、ラジオが一本の「実話童話」を放送した。
この話が「涙なしでは聞けない」と評判を呼び、ついには社会現象になった。
作者もマスコミの寵児(ちょうじ)となるが、過去を知る人に告発され、一転して疑惑の人に。

大晦日にFM東京は、「ゆく年くる年」の中で「一杯のかけそば」と題した童話を朗読で放送した。
作者は民話の語り部活動を行っている栗良平(当時45)なる人物。

この作品は70年代初頭、2人の子供を連れた貧しい身なりの女性が、札幌のそば屋を訪ねるところから始まる。
女性が頼んだのは150円の一杯のかけそば。
店主は何も言わずに半玉をサービスし、親子3人はそのそばをおいしそうに分けて食べた。
こんな交流が毎年、大晦日に数年間続く。
ところが、ある年から3人はパタリと現れなくなった。
店主はその後も、大晦日は彼らの席を予約席にして待ち続けたが……。
そして、最初の大晦日から14年後。
成人して医師と銀行員となった息子と母親が現れて、「あの時の一杯のかけそばのおかげで生き抜くことができました」とお礼を言う。
しみじみとした人情話である。

ちょうど時代はバブル最盛期。
豊かになり過ぎた消費生活への反省もあって、この話は1月に産経新聞や共同通信が取り上げ、2月には衆議院予算委員会で大久保直彦・公明党書記長(当時)の質問に引用されるなど、ブームになっていく。
5月にはピークを迎え、週刊誌に全文が掲載されたのをはじめ、雑誌ではこの童話の話題一色に。
また、テレビはフジが同15日から5日間もワイドショー「タイム3」で中尾彬、武田鉄矢らによる日替わり朗読放送「かけそば大特集」を組んだ。
作者の栗も一躍売れっ子になり、着流し姿でテレビ出演して自作を読み上げた。

そんなかけそば一色の中、ひとり反旗を翻したのがタモリだった。
5月19日の「笑っていいとも!」で「そのころ150円あったら、インスタントのそばが3人前買えたはず」「涙のファシズム」とうさんくささを指摘した。

この発言がキッカケとなり、ブームは翌6月には終焉を迎える。
その4年前に作者を居候させた滋賀県のそば屋主人が、雑誌に告発したのだ。
店主の話によると、栗はホラ吹きで「北大医学部卒の医学博士の小児科医」と詐称し、近所の住民に医者紛いの行為をし、薬代をだまし取ったりしていたという。
店主自身からも自動車を買う代金として10万円を借りたまま姿を消したと訴えた。

また、「実話」という触れ込みだった「一杯のかけそば」は、出来過ぎやつじつまが合わない点を指摘され、作者の「虚言の一環ではないのか」と問題にされた。

結局、作者はこのブームで本の印税や講演料など1億数千万円を稼いだといわれたが、訴え出た被害者に弁済することなく、そのまま表舞台から消え去った。
その後、北海道や滋賀での寸借詐欺が話題になったり、寺の乗っ取りを謀ったとの報道はあるが、現在も消息は不明のようだ。


昭和最後のバブルの頃のお話で良く聴いてましたね。懐かしいですね。

前にも書きましたが、小説でも感動するストーリーなら涙を流すことがあります。

楽しいシーンなら笑えるし、悲しい別れのシーンならしんみりしますよね。

映画を見た感動の涙には「その話が嘘なのか本当なのか」なんて関係ないですけどね。

でも実話と言っていたものが嘘だとわかると人間ってものすごく怒りモードに変わるんですよね。

創作童話として「人情味のあふれる話」だったのなら今でも読まれていると思いますよね。

ストーリーとしては良くできていますので、日本人には「よくわかる」という感じですよね。

物語自体は感動する物語ですが、人をだましてはいけませんね。
それでも、12月になると「一杯のかけそば」の話をしたくなるのは歳のせいでしょうか?

師走の候、忙しいのに最後まで読んでいただいてありがとうございました。