カラオケ@DAMのカラオケ演歌・歌謡特選流行歌を紹介します。(1月配信)

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演歌・歌謡曲のカラオケファン必見!
最新曲をはじめ懐メロまで、DAMが厳選した演歌・歌謡曲の数々をお届けします!

「特選 流行歌演歌・歌謡曲好きのあなたに毎月お届け」ということでカラオケDAMが毎月配信しています。こんな企画があったとは私も知りませんでした。

カラオケを歌う際の参考にしてください。毎月紹介していこうと思います。なかなかおもしろい企画ですね。

この中に、西島三重子さんの「鬼無里の道」があります。すごい歌詞の曲です。

「鬼無里の道」

作詞:佐藤 順英 作曲:西島 三重子

1.昔(むかし)女に化けし鬼の   忘れがたみと伝え聞く
ああ紅葉(もみじ)たずねて   鬼無里(きなさ)の道
女ごころを   君しるや
2.悪(あ)しき女と世に流れ   覚えなきともすべもなし
ああ紅葉(もみじ)たずねて   鬼無里(きなさ)の道
影に日向(ひなた)に   君想ふ
3.たとえ生涯逢えねども   つのるいとしさ誰に負けん
つひにもらさぬ我が心   後(のち)の煙に知れようか
4.老し夫婦(めおと)の語らひに   しばし安らぐ浮世かな
ああ紅葉(もみじ)たずねて   鬼無里(きなさ)の道
結びかなはぬ   わが恋や

長野市街から裾花川沿いの国道406号を行くと伝説(紅葉伝説)鬼紅葉と奥裾花(水芭蕉・ブナ林)の里です。そこに行くときの道に駅にあります。鬼無里は伝説の里であり紅葉という女性は美しく京からきたので、京がなつかしく、付近の里に東京(ひがしきょう)、西京(にしきょう)、二条、三条、四条、五条などの名をつけたそうです。都を偲んでおりましが、月満ちて玉のような子を産むと、一目経基公に見せたい思いにかられました。そして、兵を集め、力ずくで都へ上ろうと考えしたが。鬼になってしまい、退治され、鬼のいない里になり、鬼無里とのことだと

2018年1月配信曲

歌手名 曲名 カラオケファン 歌の手帖 新曲歌謡ヒット速報
秋庭豊とアローナイツ あゝ北国
秋庭豊とアローナイツ ブルーナイトイン東京
安達明 2010年1月・2月号
門倉有希 横着者
加門亮 おまえだけ
北原ミレイ 雨の人
キム・ヨンジャ 断腸のミアリ峠(タンジャンエ ミアリ コゲ)
黒木美佳 命の花 2004年07月号
伍代夏子 待つ女
小林幸子&北大路欣也 愛の振り子
西郷輝彦 あなたを忘れない
西郷輝彦 恋人たちの時間
坂井一郎(阪井一郎) 愛を消さずに
里見浩太朗 宵祭
西島三重子 鬼無里の道
橋幸夫 以蔵残月
ぴんから兄弟 明日が見えるわ
ぴんから兄弟 命ばらばら
二葉百合子 雪椿(浪曲入り)
二葉百合子 湯島の白梅(浪曲入り)
ボニージャックス あの人が居た夏
ボニージャックス 昭和恋歌~わが青春の光と影と~
三浦京子&ハニーシックス 北の新地の意気地なし
山本潤子 緑の季節
渡哲也 純愛のブルース

鬼無里の道  西島三重子

鬼無里は、長野県の、最北部の山の中。 

紅葉(みみじ)伝説というのが、残っている。 紅葉は名前。
この伝説は、架空の話しではなく、具体的な人物がモデルになっている。
※時代は、藤原道長が活躍する少し前の時代。 900年代の中頃。 平安時代。

紅葉(みみじ)伝説の概略

937年、会津にいた夫婦(笹丸・菊世)に子供が生まれた。
名を呉葉(くれは)とした。

※ 会津は、東北の最南部。
当時、東北は、中央に十分には支配されていなかった。
この夫婦は特別の地位にはない。
ある事情があって、この辺境の地にいる。
都への憧れを捨てていない。

呉葉は才色兼備。
美しく賢い。
呉葉と両親は京に上る。
呉葉は名を紅葉と改めた。
琴を教えていたが、源経基(つねもと)の目にとまり、仕えることになる。
紅葉は経基の子供を産む。そのころ、経基の正妻が病に倒れる。
その原因は、紅葉が妖術を使ったとされ、水無瀬と呼ばれていた「鬼無里」に追放された。

紅葉は、水無瀬の里で村人に、色んなことを教えた。妖術により病を直すなどしたので、村人の信望を得ていった。
一方で、都を懐かしみ、都の地名をこの地に付けたりした。
でも、都に上りたい気持ちは強くなり、その資金を得るため、盗賊集団と関わりを持ち、戸隠を拠点に一党を率いるようになる。
紅葉の名は、戸隠の鬼女として、都にまで響き渡った。

紅葉の討伐を朝廷から命じられたのは、平維茂(これもち)。
紅葉の妖術に悩まされるが、最後は、紅葉の首をはねる。
紅葉(呉葉)33歳の秋だった。

紅葉(もみじ)伝説の概要は以上だが、水無瀬の地は、鬼がいなくなったと言うことで、鬼無里(きなさ)と呼ばれるようになった。

紅葉伝説(もみじでんせつ)[鬼無里伝説(きなさでんせつ)]

昔、応天門の変で失脚した大納言伴善男(とものよしお)の子孫で伴笹丸という者が奥州会津に住んでおりました。
承平7年(937年)子供に恵まれなかった伴笹丸・菊世夫婦は第六天の魔王に祈った甲斐があり女児を得て、呉葉(くれは)と名付けました。
娘が才色備えた美しい女性に成長したとき、一家は都に上って小店を開き呉葉は紅葉(もみじ)と名を改めて琴の指南を始めました。
ある日、紅葉の琴の音に足を止めた源経基(清和源氏の祖)の御台所(=奥方)は、紅葉を屋敷に召して腰元として召し抱えられた。
紅葉の美しさは経基公の目にも止まりやがて局(つぼね)となった。
経基公の子を宿した紅葉は公の寵愛を独り占めにしたいと思うようになり、邪法を使い御台所を呪い殺そうと計りましたが比叡山の高僧に看破され、結局経基は紅葉を信州戸隠に追放することにしました。
天暦10年(956年)秋、紅葉は水無瀬の地に辿り着いた。
やはり恋しいのは源経基公との都の暮らしである。
経基に因んで生れた息子に経若丸(つねわかまる)と名付け、また村人も村の各所に京にゆかりの地名を付けました。
これらの地名は現在でも鬼無里の地に残っています。
京に上るための軍資金を集めようと、平将門の従類一党を率いて戸隠山に籠り、夜な夜な他の村を荒しに出るようになった。
噂は次第に広まり、時の冷泉帝は、平(たいらの)維茂(これもち)を召して信濃守に任じ紅葉征伐を命じました。
平維茂は紅葉の岩屋へ攻め寄せますが、紅葉は妖術を使い維茂軍を道に迷わせます。
妖術を破るには神仏の力にすがるほか無いと別所温泉の北向き観音に17日間籠もり、満願の日についに夢枕に現れた白髪の老僧から降魔の宝剣を授かる。
今度こそ鬼女を伐つべしと意気上がる維茂軍の前に流石の紅葉も敗れ、維茂が振る神剣の一撃に首を跳ねられた。
案和2年(969年)10月25日、紅葉33歳と伝えられる。
息子の経若丸は自害する。
人々はこれより水無瀬の里を、鬼のいない里=鬼無里(きなさ)と言うようになった、という有名な伝説です。
これを題材に多くの古典芸術、即ち、神楽『紅葉狩』、能『紅葉狩』、歌舞伎『紅葉狩』等々が成立致しました。
この『鬼無里の道』もこれを引用しています。

鬼無里の伝説・文学

http://www.city.nagano.nagano.jp/archives/kinasa/info/legend/legend.htm

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