今回の演歌好きの演歌新曲紹介は、2018年1月31日発売の川中美幸さんの「深川浪花物語」です。
もず唱平 作詞家生活50周年記念作品
もず唱平・聖川 湧が描き、川中美幸が歌う、”人情”と”粋”の世界。浪花生まれの訳あり女を、優しく受け入れてくれる下町・深川。頑なだった女の心も人情にときほぐされてゆく。川中美幸が、歌で物語をみずみずしく表現した会心作! もず唱平氏が描く下町の人情物語を、聖川 湧氏の親しみやすいメロディが包み込みます。
川中美幸「深川浪花物語」
川中美幸 「深川浪花物語」
川中美幸 「深川浪花物語」 カラオケ
【収録曲】
1.深川浪花物語
2.いなか侍
3.深川浪花物語(オリジナル・カラオケ)
4.深川浪花物語(メロ入りカラオケ)
5.いなか侍(オリジナル・カラオケ)
川中美幸が歌う、人情と粋の世界。
浪花生まれの訳あり女を、優しく受け入れてくれる下町・深川。頑なだった女の心も人情にときほぐされてゆく…。 もず唱平が描く下町の人情物語を、聖川 湧の優しく親しみやすいメロディが包み込みます。 川中美幸が歌で物語をみずみずしく表現した会心作!
2018年1月31日発売
川中美幸「あなたと生きる」
川中美幸「男じゃないか」
川中美幸「金沢の雨」
川中美幸「遣らずの雨」
川中美幸 |テイチクレコード
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/kawanaka/
川中美幸オフィシャルウェブサイト
川中美幸 プロフィール
本名 山田岐味子(旧姓・川中)
生年月日 昭和30年12月5日
血液型 B型鳥取県米子市出身、幼少の頃に大阪府吹田市に転居。1973年6月、「春日はるみ」の芸名でワーナー・パイオニアより「新宿天使」でデビューするも低迷。1977年4月、「川中美幸」と改名し、テイチク・レコードより「あなたに命がけ」で再デビュー。1980年、文化放送の深夜放送「走れ!歌謡曲」のパーソナリティーに局アナ以外で初めて抜擢され、現在でも歌い継がれている有名なヒット曲「ふたり酒」が生まれることになった。
1981年・第32回NHK紅白歌合戦で「ふたり酒」が大ヒットを果たし、念願の紅白初出場となった。その後1988・1989年と1993?1997年は紅白落選となるも、1998年・第49回に「二輪草」がロングセラーを記録して9年振りに紅白復帰を果たし、2011年・第62回まで14年連続出場した。
川中美幸の紅白出場回数は通算24回で、紅組歌手の中では2011年当時で6位タイ(2017年・68回現在は7位タイ)の記録である。その内2006年・第57回は、「ふたり酒」で川中自身唯一の紅組トリを務めた。
川中美幸の母・久子さんは波瀾万丈の人生だったが逃げなかった その姿勢は娘の心に
「ふたり酒」や「二輪草」などのヒットで知られる歌手、川中美幸(61)の母、久子さん(享年92)の葬儀・告別式が7日、東京・品川区の霊源寺でしめやかに営まれた。喪主を務めた川中は会葬御礼に「母の背中が『人生の道しるべ』」と題して、久子さんの生前の言葉を入れた思い出をつづった。
それによると、人一倍働き者だった久子さんは、川中に「仕事は人生の宝やで」「元気になったら、働きたい」と話していたという。川中はここ数年、全国各地に歌の仕事で飛び回る以外は、自宅(東京・渋谷)の同じ部屋で久子さんと寝起きをともにした。
川中は東京・渋谷区の東急本店前で現在、副業として久子さんから受け継いだお好み焼き店「かわなか」を経営。隣のバーは夫が経営するが、久子さんは心筋梗塞で倒れる4年前までは店によく顔を見せていた。
記者も仕事などで「かわなか」を使わせてもらうが、ふわふわのお好み焼きだけでなく、料理も酒も多彩でおいしいし、値段も手ごろ。しかも、たまには川中だけでなく久子さんも温厚なかわいらしい笑顔で迎えてくれて、それだけで心がなごんだものだ。
最期は胃がんにかかっていたとはいえ、川中も死に目に会えたことは久子さんにとっても幸せだったのではないか。川中の一番のファンで、それこそ苦労を見せず笑顔を絶やさない点は川中に通じるものがある。
しかし、久子さんの一生は波瀾(はらん)万丈だったと聞く。川中の著書「おおきにありがとう」(日本文芸社)にも詳しいが、久子さんは実家が貧しく7歳のときに養子に出され、独身時代は大衆演劇の女優に。そこで知り合った今は亡き夫と結婚し、長男(川中の長兄)が生まれたが、3歳のとき病気で亡くしている。
その後、夫妻で大阪でお好み焼き店を開いたが、夫は川中が幼いころ、運転していた自動車で人身事故を起こし、1人は亡くなり、別の1人が重傷を負った。運悪く自動車保険は、その1日前に切れていたという。
事故後、酒におぼれ自らも体をこわした夫に代わり、久子さんは給食センターの配達員として運転手も。一家を支え補償金を払う一方、盆や正月には亡くなった人の供養を長年、続けてきた。
そのため、貧しい生活が続いたが、川中が1980年に出した「ふたり酒」のヒット後、事故で亡くなった遺族に会いにゆくと「川中さんのお母さんは立派ですね」と逆にほめられ、励まされたという。どんなにつらいことや苦労からも逃げない。そんな母の姿を見て川中は育った。その姿勢は川中の心の奥にしっかりと刻まれている。
生前親交のあった美空ひばりの歌まねも得意な川中。告別式の会葬御礼あいさつでは「素晴しい母でした。母のためにも、いい歌を歌っていきたい」と誓った。誰もが認めるつやも華もある歌声で再びヒット曲や紅白返り咲きを期待したい。久子さんも天国できっとそれを待ち望んでいる。
カラオケファンで川中美幸さんの楽譜は、下記で検索できます。
歌の手帖で川中美幸さんの楽譜は、下記で検索できます。
ミュージックスターで川中美幸さんの楽譜は、下記で検索できます。
新曲歌謡ヒット速報で川中美幸さんの楽譜は、下記で検索できます。
プリント楽譜で川中美幸さんの楽譜は、下記で検索できます。
次のページは川中美幸さん曲一覧になっています。