今回の演歌好きの演歌新曲紹介は、2018年2月21日発売の村木弾さんの「親父の手紙」です。
息子よ、元気でやってるか…
故郷を旅立った息子へ、親父からの言葉。
元気でやってるか、友達はできたか。たまには帰って来い、酒でも飲もうじゃないか…
師匠・船村徹を亡くして1年
最後の内弟子・村木弾3枚目のシングルは、船村徹が“親父”の気持ちで村木に捧げた唄
“最後の内弟子”村木弾が歌いあげます。
「親父の手紙」 作詩/喜多條忠 作曲/船村徹 編曲/蔦将包
舟木一夫が作詩、プロデュースを行った「ござる~GOZARU~」「都会のカラス」がただ今ロングセラー中。いかにもガテン系なキャラと優しい歌声の個性派スタイルが全国の演歌、歌謡曲ファンの間で話題となっています。
前作「都会のカラス」制作中の17年2月に船村氏が他界。この作品が船村氏の遺作となりました。 しかしデビュー作「ござる~GOZARU~」制作時に、船村氏の強い希望で、今作「親父の手紙」がレコーディングされていたのです。
船村氏が“親父”の気持ちで“息子”村木弾に捧げた歌を、一周忌にあたるこの2月に追悼の気持ちを込めて発売いたします
村木弾「親父の手紙」
村木弾 「親父の手紙」
村木弾 「親父の手紙」 カラオケ
【収録曲】
1.親父の手紙
作詩/喜多條忠 作曲/船村徹 編曲/蔦将包
2.祭り唄
作詩/木下龍太郎 作曲/船村徹 編曲/蔦将包
(鳥羽一郎カバー・1985年)
3.親父の手紙(オリジナル・カラオケ)
4.祭り唄(オリジナル・カラオケ)
5.親父の手紙(半音下げオリジナル・カラオケ)
6.祭り唄(半音下げオリジナル・カラオケ)
7.親父の手紙(2コーラスカラオケ)
8.祭り唄(2コーラスカラオケ)
2018年2月21日発売
村木弾「都会のカラス 」
村木弾「別れの一本杉」
村木弾「兄弟船」
村木弾オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/kiyo-fu18/theme-10097510697.html
村木弾 | 日本コロムビアオフィシャルサイト
村木弾 プロフィール
<プロフィール>引用
本名:大門 弾(だいもん だん)
生年月日:1980(昭和55)年1月11日
出身地:秋田県秋田市国立秋田工業高等専門学校卒業後、就職のため上京、道路会社に入社。
(2級船舶免許、建築関係専門免許複数を取得)
鳶職、現場監督の仕事に従事していたが、夢であった歌手への道を目指し、船村徹の元へテープを送る。
これがきっかけで平成15年7月に船村の内弟子となる。
男っぽさと艶っぽさが同居した独特の声質が認められた。
栃木県日光市にある船村徹の仕事場「楽想館」で船村の身の回り一切のお世話、付き人として仕事場へ同行、運転と、24時間寝食行動を共にしながら、船村から「歌の心」、「人の心」を教わった。
2016年2月、作詩&プロデュース・舟木一夫、作曲・船村徹による「ござる~GOZARU~」でデビュー
船村徹「村木弾が最後の内弟子」…「寂しくなった」
http://www.sankei.com/entertainments/news/160527/ent1605270015-n1.htmlより引用
北島三郎(79)、鳥羽一郎(64)、天草二郎(45)…。多くの歌手を育て上げた作曲家の船村徹(83)が歌手の村木弾(だん)(36)を「最後の内弟子」と公言した。村木は2月に最新シングル「ござる~GOZARU~」でデビュー。7月6日には東京・中野サンプラザでの公演「コロムビアうたまつり2016」に出演する予定だ。最後の内弟子を巣立たせた船村の心境は-。(竹中文)
「(内弟子の育成が)終わったんだなと思うと、やはり寂しかったですね。騒がしかった家の中がガランとしちゃって…。これから何をしようかな、と思っています」
船村は昭和28年に作曲家としてデビュー。「別れの一本杉」「矢切の渡し」など数々の名曲を手掛けた。村木を内弟子にしたのは平成15年。きっかけは村木のデモテープだった。
「テープは冒頭だけ聴いた。ちょっと聴けば(資質は)分かる。あとは人間性で、それも第一印象で伝わる。村木は金融会社の社長みたいな雰囲気を醸し出していた。北島や鳥羽ほどの悪(わる)ではなさそうなので、良いかなと…」
村木と自宅で約12年間、寝食を共にした。その間に「曲は心で歌うもの」と伝授した。村木が料理や犬の世話、庭の手入れなどに励む姿も見守った。「彼は割とシャイで、そこが魅力」
村木のプロデュースを任せたのは旧知の歌手、舟木一夫(71)。芸名の「村木」は船村と舟木からそれぞれ1文字を与えた。デビュー曲「ござる-」は舟木が作詞で、作曲は船村。「舟木さんと正式に組んだのは初めて。舟木さんも僕も村木も申年で、それがタイトルの『ざる』に反映されたんだと思う」
「ござる-」は、金では買えないような夢や恋、傷を持つ男の生き方を描く。歌詞の語尾も「ござる」で、愛嬌(あいきょう)がある。船村はシャイな村木が歌いやすいようにアップテンポの曲に仕上げた。「自分との年の差を感じるような軽快な曲調になった。作りながら照れくさくて笑っちゃった」。カップリング曲「北の男旅」(喜多條忠作詞)の作曲も担当した。こちらは荘重な曲になった。
デビューさせた内弟子は16人という。自身の年齢や体調を考慮し、「内弟子はもう結構」。それでも、巣立った後の弟子たちを気遣う。熊本地震発生を知ったときはいち早く、熊本出身の弟子である天草二郎に連絡した。「(弟子を)見ていないふりをしながら見ています。村木には同門会の先輩たちに負けないぐらいに頑張ってほしいね」
村木は国立秋田工業高等専門学校を卒業後、道路会社に就職。しかし、歌手になる夢を諦められず、船村門下生になった。
村木は「子供の頃から船村先生の曲を聴きながら育った。船村先生の教えを胸に刻み、心に響くような曲を届ける歌手になりたい」と抱負を語った。
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