演歌以外:感動する話「クラス全員が泣いた作文発表会」について。

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今日のお話は、「クラス全員が泣いた作文発表会」についてのお話しです。

今日は、9月11日、「公衆電話の日」(1900年のこの日、日本初の自動公衆電話が、東京の新橋と上野駅前に設置された。当時は「自動電話」と呼ばれていて、交換手を呼びだしてからお金を入れて相手に繋いでもらうものだった。1925(大正14)年、ダイヤル式で交換手を必要としない電話が登場してから「公衆電話」と呼ばれるようになった。)だそうです。

当時はまだ「公衆電話」の名称はなく「自動電話」と呼ばれましたが、実際は自動交換機がありませんので、交換手を呼び出してつないでもらう方式でした。料金は1通話5分で15銭。そば一杯が2銭の時代ですから、今なら3000円くらいの感覚になりますね。
非常に高価なメディアですよね。

公衆電話の数は昔に比べれば大幅に減りましたが、そもそも公衆電話が減り続けているのにも関わらず、携帯電話が普及したこの時代でも全てが撤去されて無くなることはありません。

それは、公衆電話は法律によってNTTに設置するように義務付けられているからです。

都市部などの建物の多い市街地であれば500メートル四方に一台、それ以外の地域では1キロ四方に一台を必ず設置しなければならないとなっています。

それでも山の中であったり、広大な畑や田んぼになっているなど公衆電話の設置範囲外となっている地域については、利益になるかならないかを基準として撤去するかどうかは経営判断に任されているそうです。

公衆電話ボックスに鏡が置かれている理由についてご存知ですか。

公衆電話ボックスを使ったことがあるという人は知っているかと思いますが、公衆電話ボックスには鏡が設置されていますよね。

もちろんこの鏡は身だしなみを整えるために設置されているものではないのです。

それでは何のために公衆電話ボックス内に鏡が設置されているのかというと、後ろに立っている人が見えるように鏡が設置されています。

これは決して後ろの人を警戒するためのものではなく、鏡を設置することによって後ろに並んでいる人の姿を見せることによって、少しでも早めに電話を終わらせる事を促し、長電話を減らしてたくさんの人に利用できるような配慮ですね。

現在ではあり得なくなってしまいましたが、携帯電話が無い時代には公衆電話ボックスの前で電話が終わるのを順番待ちするということはごく当たり前の風景でしたよね。

クラス全員が泣いた作文発表会 

小学生の時、僕はイジメられていた。
無視されたり、叩かれたり・・・、
死にたいとは思わなかったけど、
学校に行くのはとても辛かった。

イジメをするのは
一部のクラスメートだけだったけど、
他の子たちは自分もイジメられるのが
怖くって、誰も助けてくれなかった。

ある日の授業で、「自分のお父さん」の事を
作文に書く授業があった。
先生は何でもいいんだよ・・・。

遊びに行った事とか、
お父さんの仕事の事とかでいいと言っていた。
けど、僕はなかなか書く事が出来なかった。
クラスの子たちは、みんな楽しそうに書いている中、
僕一人教室の中でひとりぼっちだった。

結果から言うと作文は書いた。
書いたのだが「自分のお父さん」と言う
テーマと違う事を書いた。

あとで先生に怒られるかも・・・と思っていた。
また、これがきっかけでイジメられるのかなと、
子供心にとても不安だった。
でも、それしか書けなかった。

作文は授業の終わりと同時に集められ、
先生は、「来週、発表会をします」と言った。
先生はそのまま教室を後にした。

その後、頭を叩かれて
イジメられている普段の僕がいた。
先生は
「じゃあ、今日は発表会をしてもらいます」
と言った。

今日は作文の発表会の日。
ただひたすら
「僕の作文は選ばれませんように」と
ただ祈って下を向いているだけだった。

発表会は順調に進み、あと10分で
授業が終わるところまで来ていた。

僕は少し安心していたのだが、

その期待は無駄だった。

「では、最後に○○君に読んで貰います」

僕は頭の中が真っ白だった。

「あの、先生・・・僕はお父さんの事を
書いてないです。」と言ったら、
クラス中から非難の声が上がった。

「バカじゃねえの?
廊下に立っていろよ、オマエ!」

いろいろな声が飛び交ったが、
非難の意見はみんな一緒だった。
もうどこにも逃げられなかった。

「静かにしなさいっ!」
先生の突然の大声に教室は静まり返った。

「先生は○○君の作文を読んでもらいたいの、
だからみんな聞いて下さい!」

「○○君、さあ読んでください。」
いわれるままに僕は作文を読んだ。

「僕のお父さん。
僕のお父さんはいません。
幼稚園の時に車にはねられて
死んだからです。

だから、お父さんと遊んだのも、
どこかへ行った事も、
あまりありません。

それにお父さんの事も
あまり覚えていないです。
写真があるので見ましたが
覚えていないです。
だから、お婆ちゃんと
お母さんの事を書きます。
お母さんは昼間仕事に行って
お父さんの代わりに働いています。

朝早くから夜遅くまで
いつも働いています。
いつも疲れたと言ってますが、
甘いお菓子やたい焼きを買って
来てくれるのでとても大好きです。

お婆ちゃんは元気で
通学路の途中までいつも
一緒に歩いて来てくれます。

ご飯はみんなお婆ちゃんが
作ってくれて、とてもおいしいです。

お母さんが働いているので
父兄参観の時には
お婆ちゃんが来てくれます。

みんなは
「おまえの母ちゃんババァなんだ?」と

からかって来るので恥ずかしかったけど、
でも、とても優しいいいお婆ちゃんです。

だから、お父さんがいなくても
僕はあまりさびしくありません。

お母さんとお婆ちゃんがいてくれるからです。

お母さんは、

「お父さんがいなくてゴメンね!」と、
言ったりするので、
早く僕が大人になって仕事をして、
うちの家族のお父さん代わりになって、
お母さんとお婆ちゃんの生活を

楽にしてあげたいと思います。

だからお婆ちゃんには

長生きしてねって、いつも言っていて、
お母さんにはいつも
肩をもんであげています。

二人とも泣いたりするので少し困るけど、
そんなお母さんとお婆ちゃんが

僕は大好きです。」

一気に僕はしゃべった。

先生には死んだお父さんのことを

書けばいいのにと言われると思ったし、
「クラスの子供達からは、
おまえお父さんがいないのか?」
「もしかして捨て子だったんじゃねえか?」
と、またイジメられるのかなと
思ったりしていた。

顔を上げる事も出来なかった僕は
救いを求めるように先生の顔を見てみた。
すると、先生は立ったまま泣いていた・・・。

そしたら、ほかの子たちもみんな泣いていた。
僕が初めて好きになった初恋の子は、
机にうつぶして泣いていた。
僕をいじめていた子たちも泣いていた。
でも、僕には、なぜみんなが
泣いているのか分からずにいた。

「どうして・・・?
お父さんがいないから・・・?
お母さんとお婆ちゃんの事を
仕方なく書いたのに・・・?
どうしてみんなが泣いているのだろう・・・・」

「○○君・・・」
「はい・・・」

「先生は人の心を分からない
ダメな先生でした、ゴメンなさい。
世の中には親御さんのいない子もいるのにね!

そういう子たちの事も頭になくて、
お父さんの事を書いてだなんて、
あなたの事も知らなかったとはいえ、

○○君!本当にゴメンなさいっ!」

先生は顔を覆ったまま泣き崩れていた。
それがその日に起こった出来事だった。

次の日から、なぜかイジメられなくなった。
相変わらず口悪くからかったりは
されたけど、殴られる事はなくなった。
イジメのリーダー格の子に、
遊びに連れていってもらえるようになった。

先生はその後の家庭訪問で、
その日の出来事をお婆ちゃんに
話して謝っていた。

作文の事を僕は誰にも話していなかったので

少し怒られたけど、話を聞いた母も、
今は亡くなった婆ちゃんも、
うれし泣きみたいな、
くちゃくちゃ顔で叱ってくれた。

僕も立派な、人に誇れるような
仕事はしていないけど、

家族のおかげで一人前の大人の男に
なれたとは思う。

大人になった今でも、
その時の事はなぜか覚えているし、
ふと、思い出したりもする。

子供のころに、みんなの前で作文を発表するときのドキドキ感を思い出しました。

文章を書くのは、やっぱりいろんな感動をたくさんの人に伝えたいと思いながら書いてます。

子供の素直な表現はどんな言葉よりも心に伝わりますよね。