演歌以外:感動する話「亡き主人に代わってお礼申し上げます」というお話です。

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今日のお話は、「亡き主人に代わってお礼申し上げます」という日本のマザー・テレサとも呼ばれている“佐藤初女”さんのお話です。

今日は、11月20日、今日の記念日は、

毛皮の日

日本毛皮協会が1989年に制定。「い(1)い(1)フ(2)ァー(輪=0)」の語呂合せ。

ピザの日

凸版印刷が1995年に、ピザをイタリア文化のシンボルとしてPRする日として制定。
ピザの原型であるピッツァ・マルゲリータ誕生に関係した、ウンベルト1世の妻・マルゲリータの誕生日。

いいかんぶつの日

日本かんぶつ協会が2010年に制定。
干物の「干」の字が「十」「一」からなることから11月、乾物の「乾」の字が「十」「日」「十」「乞」からなることから20日を記念日とした。

産業教育記念日

1884年のこの日、「商業学校通則」が制定され、日本の産業教育制度が創設された。

行政相談委員の日

1961年のこの日、行政相談委員が設置された。

行政相談委員とは、行政運営の改善の為に、国民の行政に対する苦情・要望等を受附け、その解決や実現を図る委員のことで、全国の市町村に約5000人が設置されている。

県民の日 [山梨県]

1871(明治4)年11月20日(旧暦)、甲府県ほか甲斐国内全域の諸県を統合して山梨県が発足した。
新暦に換算すると12月31日になってしまうため、旧暦の日附を記念日とした。

世界こどもの日(Universal Children’s Day)

1954年の国連総会で制定。国際デーの一つ。1959年に「児童権利宣言」が採択された日。国連では各国政府が適当と考える日を選んで子供の世界的な相互理解、子供の福祉を増進させるための活動日に当てるよう勧告しており、日本では「こどもの日」の5月5日を当てている。

「亡き主人に代わってお礼申し上げます」

日本のマザー・テレサとも呼ばれている“佐藤初女”さんは、人生に悩み、精神的に屈しかかった人たちを受け入れ、食事を供にし、隣で唯々心をこめて聴いてあげるという活動を三十年以上しています。

その佐藤初女さんの著書よりご紹介させていただきます。

七年ほど前のある日のことです。

一本の電話がかかってきました。

「私はもうだめです。一万円貸してください」

今にも消え入りそうなか細い声で、私は事態がただごとではないと察しました。

電話の主は、もうお付き合いして四十年にもなる女性でした。

二人の子どもがまだ幼いうちに夫を亡くし、未亡人となりました。

彼女自身病弱で、子どもたちを自分の手で育てるのがとても難しかったので、彼女は私のもとに相談にきました。

そこで私は、自分の関係の深い施設を紹介し、子どもたちを預かってもらうことにしたのです。

子どもたちが成人してからも、彼女は子どもたちと別々に暮らしながら、付添婦などの仕事をしていました。

過労で仕事が続けられなくなると、休暇をとっては、私のところで一緒にご飯を食べ、一週間ぐらい休んではまた働きに出るという暮らしを繰り返してきました。

「一万円では足りないでしょう」と、私は二万円と、手元にあった食べ物を持って、タクシーで彼女の家に駆け付けました。

大変きれい好きな人だったのですが、そのときは、その人の部屋とは思えないほど、部屋中が荒れていて、本人はうつぶせに倒れていました。

苦しくて病院に行こうとしたのだけれどお金がないといいます。

私はそのまま彼女を入院させ、その一週間の付き添いさんの最後の日に、私はお見舞いに行きました。

彼女は、苦しいとはいいながらも、声はしっかりしていたので、私はいろいろと話をしていました。

そのとき、ちょうど窓の下を焼き芋屋さんが通ったのです。

彼女は付き添いさんに、

「焼き芋を買ってきて下さい。行ってしまいそうだから、早くお願いします」と千円を渡しました。

彼女は買ってきてもらった焼き芋を病室の皆さんにお配りし、隣の部屋にもさしあげてくださいと付き添いさんにいってもらったりしていました。

私は、そんなに悪くなさそうな様子を見てひと安心し、家路につきました。

ところが、容態が急変し、私が家に着く前に彼女は亡くなってしまったのです。

連絡を受けて、私は病院に飛んで引き返しました。

彼女は人に物をあげるのが好きな人でした。

でも、最後にはお金もなく、手元にあったわずか千円のお金で焼き芋をふるまうのが精一杯でした。

それがお世話になった人たちに対する、彼女の最後の気持ちの表れでした。

入院する一週間前のことです。

彼女は私の息子の結婚式に正装して列席してくれました。

そのとき、お祝いに大きな鯛を持ってきてくれたのですが、その贈り主は、何と、何十年も前に亡くなったご主人の名前になっていました。

「主人が亡くなったとき、私はもう生きているのも辛く、死にたい思いでした。

それが、今日までこうして生きてこられ、子どもたちも一人前に成長しましたのは佐藤さんのお陰です。

亡き主人に代わってお礼申し上げます。

ありがとうございます」

彼女はそういって、深々と頭を下げました。

今振り返ってみますと、彼女はすでにそのとき、自分の死期を悟っていたのではないかと思えてなりません。

あるとき初女さんは、

「あなたのところには、皆さんが次から次へと、相談に来たり頼みごとに来るけれども、私のところには誰も来ない。だから私には何もすることができない。どうしたらいいんでしょう」

と質問されました。

このように答えたそうです。

「まず自分の足もとのことから始めるものと思っています。

道端にジュースの缶が落ちていたら歩いている人がつまずかないように拾うとか、自分のまわりの人たちに、いつも明るく温かい言葉をかけるように心がけるとか、そんな些細なことの積み重ねが、人の心に伝わります。

そうした身近なことから動いていますと、それをさり気なく見ていたまわりの人は、この次はあの人にこの仕事をお願いしましょうという気持ちになります。

その頼まれた仕事を気持ちよくこなしていくことで、この次もあの人にお願いしましょうということになって、動きの輪は次第に大きく広がっていくものです」

「おむすびの祈り」佐藤初女 著

 

食はいのち。佐藤初女さん、感動のエッセイ。
青森、岩木山麓にある“森のイスキア”主宰の佐藤初女さん。彼女の握る“おむすび”で、これまで多くの悩める人々が救われたという。少女時代の闘病生活から現在までを率直に綴る自伝的エッセイ。

初女(はつめ)お母さんの愛の贈りもの―おむすびに祈りをこめて

 

おいしい手料理は、いのちを癒す魔法の言葉。悩める人、こころ病める人を受け入れてともに食事をする「森のイスキア」での活動から、おむすびの話を中心に「いのちと食」について語る。