演歌以外:「幸せ」とは何かについて。

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今日のお話は、「幸せ」とは何かについてのお話しです。

今日は、2019年、平成31年、1月1日(元旦)です。

あけましておめでとうございます。今年も「えんかすき」をよろしくお願い申し上げます。

さて、今日はどんな記念日でしょうか。

元日(New Year’s Day)

新年の幕開けの日。”年のはじめを祝う”国民の祝日。
1948(昭和23)年7月公布・施行の祝日法によって制定された。

元旦

「旦」は「日の出・朝」の意味で、「元旦」とは1月1日の朝を指す。

初詣

年が明けてから、初めて神社仏閣に参拝すること。
氏神様やその年の恵方に当る方角の社寺にお参りをして、その年の無事と平安を祈る。「恵方」とは、その年の福徳を司る神「歳徳神」の所在する方角のことで、何事をするにも最も良いとされる方角のことである。
昔は大晦日の夜に社寺にお参りして一度家に戻り、元日の朝になって再び参詣していたが、今では大晦日の夜から出かけて行って、社寺の境内で元旦を迎えるという形も見られる。

年賀

新年の挨拶を述べる為、親戚や知人、上司、近所の人々等を訪れる。
現在では年賀状でその代りをするようになっている。

若水

元日の早朝に井戸から水を汲んで神棚に供えること。またその水のことも「若水」と言う。
朝早く、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に会っても口をきかないしきたりだった。若水は一年の邪気を除くと信じられ、神に供えた後その水で家族の食事を作ったり、口を漱いだりお茶を立てたりした。

潮,若潮迎え

元日の早朝、潮水を海から汲んで来て神に供える。

四方拝

天皇が、午前5時半(昔は寅の刻)に束帯を着て神嘉殿の南座(昔は清涼殿の東庭)に出御し、皇大神宮・豊受大神宮・天神地祇・天地四方・山陵を拝し、宝祚の無窮・天下太平・万民安寧を祈る儀式。

少年法施行の日

法務省刑事局が実施。
1949(昭和24)年のこの日、前年7月15日に公布された「少年法」が施行された。

神戸港記念日

1868年1月1日(旧暦1867(慶応3)年12月7日)、神戸港が外国船の停泊地として開港した。
神戸港は、横浜港と並ぶ日本の二大国際貿易港で、神戸市発展の原動力となった。

鉄腕アトムの日

1963(昭和38)年のこの日、フジテレビで『鉄腕アトム』のテレビ放映が開始された。
初の国産アニメだった。

「幸せ」とは何か

「幸せ」についてのお話です。

「こうでなきゃ嫌だ」と思ったら、待っているものは「嫌だ」か「ゼロ」。

「こうなると楽しい」と思ったら、待っているのは「楽しい」か「ゼロ」。

「執着」と「おもしろがる」とはどう違うのでしょうか。

執着というのは、「こうでなければ嫌だ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。

それに対して「おもしろがる」とは、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。でも、そうなるといいなあ」「そうなるとうれしいな」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思うこと。

それが「おもしろがる」ということになります。

「こうでなければ嫌だ」と思ったときに、執着になります。

超能力の点から考えても、「こうでなければ嫌だ」と思ったときは脳波がβ波になって、実力でしかものごとを解決することができません。

一方、「こうなるとうれしい」「こうなると楽しい」「こうなると幸せだ」と思ったときは脳波がα波になり、不思議な力が助けてくれます。

超能力的な解決方法とでもいうのでしょうか。そういう力が、どこからか支援してくれるのです。

「こうでなきゃ嫌だ」と思ったときは、「嫌だ」か「ゼロ」しか待っていません。

「こうなると楽しい」と思ったら、待っているものは「楽しい」か「ゼロ」。

喜びが上乗せされるだけの日々になるのです。

多くの人は「何らかの結果」について「幸せ」か「不幸せ」かを判断しているようです。

ですが、結果というのは「結果論」という言葉もあるように、あとからつけられたものであり、誰も事前に予測することができませんし、コントロールもできないものです。

幸せを結果に求めてしまうと、誰にも予測したり、コントロールしたりできなのですから、あとは運任せ、博打みたいなものだということになってしまいます。

なおかつ、結果に対する評価というのは、あとからどうにでもなるものです。

例えば「結婚」を例にとってみても、

1「結婚して幸せにならなかったら嫌だ」と思うか、

2「結婚して幸せになったら楽しいな」と思うのかで、その途中のプロセスが全然違うものになってきます。

1は、最後だけ幸せ。

2はいつも幸せ。

しかし、1が最後にたどり着ける保証はない。

多くの人は「何らかの結果」について「幸せ」か「不幸せ」かの判断しています。

でも、「結果」というのは誰も事前に100%の予測することができませんし、コントロールも難しいでしょう。

幸せを「結果」に求めてしまうと、誰にも予測したり、コントロールしたりできなのですから、あとは運任せ、博打みたいなものだということになってしまいます。

「結果」ではなく、「プロセス」そのものに幸せを見出せれば、そこに向かっているあいだ中ずっと幸せな気持ちでいることができます。

うれしい、楽しい、気持ちいい、すがすがしい、誇らしい、といったポジティブな感情が得られるものをゴールに設定すると、そこに向かうための「選択」は、必ず幸せを感じる選択につながります。

旅行の計画をたてるのも、そこに向かう飛行機のなかも、途中に遭遇するアクシデントも、嵐のような天気も、仲間との言い合いも、全てが「幸せ」に向かう行為になるということです。

結果だけを「幸せ」としてしまったら、大雨が降って「不幸」となり、仲間と言い合ってまた「不幸」となってしまうのです。

子どもの勉強も、「結果」をほめられて育った子は、次第に勉強しなくなったり挑戦しなくなったり易しい問題ばかりを解くようになるそうです。

なぜなら、「結果」をほめられるので、「結果」で失敗したくないという心理がはたらくからです。

逆に、プロセスをほめられて育った子は、勉強していること自体をほめられるので、結果に関係なく果敢に挑むことができます。

時間はかかるかもしれませんが、長い目で見たら「プロセス」をほめた方が最終的には良い結果になっていくのでしょう。

実は「幸せ」とは結果に対する評価ではないと思います。

では、「幸せ」とは何でしょうか。

それは、「到達すべきゴールを設定し、それに向かうためのベストの選択をすること」だと思います。

ゴールに向かう選択をすること自体が「幸せ」なのではないでしょうか。

結果ではなく、プロセスそのものに幸せを見出せれば、そこに向かっているあいだずっと幸せな気持ちでいることができます。

うれしい、楽しい、気持ちいい、すがすがしい、誇らしい、といったポジティブな感情が得られるものをゴールに設定すると、そこに向かうための「選択」は、必ず幸せを感じる選択につながります。

旅行の計画をたてるのも、そこに向かう飛行機のなかも、途中に遭遇するアクシデントも、嵐のような天気も、仲間との言い合いも、全てが「幸せ」に向かう行為になるということです。

結果だけを「幸せ」としてしまったら、大雨が降って「不幸」となり、仲間と言い合ってまた「不幸」となってしまうのです。

これは余談ですが、子どもの勉強も、「結果」をほめられて育った子は、次第に勉強しなくなったり挑戦しなくなったり易しい問題ばかりを解くようになるそうです。

なぜなら、「結果」をほめられるので、「結果」で失敗したくないという心理がはたらくからです。

逆に、プロセスをほめられて育った子は、勉強していること自体をほめられるので、結果に関係なく果敢に挑むことができます。

【大事にすべきは結果よりもプロセス】

プロセスごと楽しんで行く方法が、「こうなれたら楽しいな、うれしいな」ですね

時間はかかるかもしれませんが、長い目で見たら「プロセス」をほめた方が最終的には良い結果になっていくのでしょう。

幸せも旅も子育ても仕事も色々と、プロセスを大切にしていきたいですね

日々の暮らしの中でプロセスを大切に楽しみながら、笑顔で、生きていくことを今年の目標にしたいと思います。この目標は毎年でも良いですけどね。新年の最初なので改めて(笑顔)

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